能の曲目。四番目物。五流現行曲。狂女物。観阿弥(かんあみ)作と考えられる『嵯峨物狂(さがものぐるい)』を世阿弥(ぜあみ)が改作したもの。実在した百万という曲舞(くせまい)の名手の芸能尽くしに、母子再会のストーリーを重ね合わせた、春の物狂い能。大和(やまと)の男(ワキ)が、西大(さいだい)寺のあたりで拾った少年(子方)を連れて、嵯峨の清凉(せいりょう)寺釈迦(しゃか)堂の大念仏会(え)に出かける。所の者(間(あい)狂言)がおもしろいものを見せようと大念仏を唱えると、百万(シテ)は、リズムのとり方が悪いといいつつ現れ、笹(ささ)を手に音頭をとる。彼女は夫と死別し、ひとり子とは生き別れになったために狂女となっている。百万は、乱れ心ながら子供を恋いつつ身の上を語り、インド、中国、日本と三国伝来の釈迦像の由来を舞い、わが子との再会を祈る。そしてめでたく親子の名のりで終わる。観阿弥は、百万の末流である女曲舞師の乙鶴(おとづる)に学び、その曲舞のリズムを能へ導入した。従来のメロディ本位であった能の音楽に革命をもたらしたことと、謡い、語り、舞うことのできるクセが能の構成の中心に据えられたことの原点として、『百万』は注目される曲目である。
[増田正造]
能の曲名。四番目物。狂女物。世阿弥作。観阿弥の演じた《嵯峨物狂》が原拠。シテは百万(狂女)。ある男(僧の場合も,ワキ)が拾った少年(子方)を連れて京都の嵯峨に赴く。嵯峨は大念仏の最中で,寺の門前の男(アイ)が念仏を唱えていると,女(シテ)が現れて人々の念仏の拍子を下手だといい,自分で音頭を取る(〈車ノ段〉)。この女は,ひとり子を失ったことで心が乱れ,古烏帽子(ふるえぼし)をかぶり笹を手にして狂い歩いているのだった(〈笹ノ段〉)。今日も神々へ捧げる舞だといって曲舞(くせまい)を舞う。その内容は,子の行方を尋ねて諸国を巡った身の上話だった(〈クセ〉)。こうして群衆の中にわが子を探し求めるうち,男に連れられているのがわが子と知り,正気に戻る。実在したと思われる女曲舞の百万を主人公とした能だけに,車ノ段,笹ノ段,長いクセと舞いどころが多い。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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