荘園等に対する国家権力の介入を排除する特権。不輸は不輸租(ふゆそ)に由来し,租以下の税を国家に貢納する必要のないことであり,不入は検田使以下の国衙使の立入りを拒否することのできる特権である。
律令では,神田,寺田が本主つまり寺社に租を輸することで,事実上不輸租の特権を認められていたが,奈良時代には一般の墾田や貴族所有地には不輸租の特権はなく,初期荘園も多くは輸租田であった。立券荘号(りつけんしようごう)の手続を経た官省符荘(かんしようふしよう)でも,不輸租の特権は立券時の見開田(げんかいでん)(当該期すでに開発されている田)に限られた。845年(承和12)の東寺領丹波国大山荘の墾田9町144歩の不輸化は,その早い例である。したがってその後の開発田の不輸化は,あらためて国司に申請して免判を得なければならなかった。大山荘の場合,915年(延喜15)治田(ちでん)1町6反42歩について郡判(郡司の免判)を申請して認められている。本田以外の出作が盛行するにともない,国司は検田使を入勘(入部)させて荘田の拡大を抑えようとしたから,検田使らの入勘は荘園領主と国司の紛争の原因となり,不入権が問題となるにいたった。992年(正暦3)筑前国筥崎(はこざき)宮塔院領秋月荘で〈公田不交〉ということで検田使の入勘が停止されたのはその早い例である。とくに11世紀中葉になると,臨時雑役(りんじぞうやく)が不輸租田にも課されるようになったため,その免除を求め荘園領主は四至(しし)を限った領域内全体の不輸不入化を目ざした。大山荘では1042年(長久3)〈四至の内,国使入勘すべからず〉との宣旨を獲得した。また東大寺領の美濃国茜部(あかなべ)荘では,53年(天喜1)荘司住人らは四至に牓示(ぼうじ)を打ち検田,収納,四度使の入勘と国郡差課の雑役の停止を申請し,翌年官宣旨によって認可された。この段階での不入権の承認は,国郡司でなく中央政府によってなされているのが特徴である。このような荘園側の一円領域支配への指向と,加納(かのう),出作田等の収公をはかる荘園整理政策が相まって,荘園と公領の分化が急速にすすみ,12世紀以降の中世荘園の確立をみるにいたる。不入権をめぐる荘・公の紛争が11世紀中葉に著しく集中して起こっているのは,このような事情による。
以上のように,不入権は本来検田使,収納使らの入部を拒否する権利であったが,やがて検非違使(けびいし)の入勘をも拒否することになり,不入権は国家の警察権からの独立をも意味するようになった。鎌倉幕府成立後はとくに有力荘園が守護使不入を主張し,室町時代のいわゆる守護領国制下にあっても,かなりの荘園で守護使不入権が認められていた。しかし,戦国大名はしだいにこの特権を否定していった。例えば1553年(天文22)の《今川仮名目録追加》には,〈分国中守護使不入なと申す事,甚(はなはだ)曲事也〉とあって守護使不入を否定している。なお,ヨーロッパ荘園における同種の特権については〈インムニテート〉の項を見られたい。
執筆者:工藤 敬一
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不輸とは荘園(しょうえん)で国家的賦課が免除された特権で、不入とは荘園内に国・郡司が立ち入ることができない特権をいう。不輸の内容は、国家の税制体系が変化するとともに変わった。律令(りつりょう)国家の段階では、律令国家税制体系のなかで唯一の地税であった租(そ)だけが不輸の対象とされた(不輸租)。不輸租の特権は、国家公認の荘園である官省符荘(かんしょうふしょう)だけに付与された。10世紀初頭に王朝国家となると、国家税制は官物(かんもつ)、臨時雑役(ぞうやく)の二本立てとなり、不輸の対象も官物となり(不輸官物)、官省符荘でも不輸官物の荘田と、官物は国に納めなくてはならない荘田とが分けられるようになった。また臨時雑役も免除されるようになった(雑役免)。王朝国家になると、国司の任国内支配に中央政府があまり干渉しなくなったので、国司が任期中だけ荘園の不輸を認める国免荘(こくめんのしょう)が現れるようになり、1040年(長久1)の荘園整理令以降は、長期にわたって不輸の実績を積んできた国免荘は合法的存在となった。
不入はけっして不輸の結果生じたのではない。官省符荘は不輸租の特権が与えられたが、まったく不入ではなく、国使が荘田を調査して不輸を認定するのであった。不入権がどのように形成されたかはまだ十分には解明されていないが、11世紀ごろ在地領主が中心となって開発された領域で、しだいに国・郡司が検田のため入部することが困難になり、それが一般の荘園に広まって、まず検田使の不入が権利として認められるようになった。こうして国使不入の権利が拡大したと考えられる。
[坂本賞三]
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不輸は国家への租税の一部またはすべてが免除される権利であり,不入は荘園に対する公権力の介入を拒絶する権利。不輸と不入は別個の特権であるが,平安後期の有力寺社領荘園などが立券荘号にあたり両方の権利を獲得したため,一つの用語として使用された。不輸は古代の不輸租田に由来し,10世紀以降の荘園では一般化する。当時の荘園には,公田官物の免除をうけたものと,雑役(ぞうやく)の免除をうけたものとがあったが,ともに租税の一部を免除された特権をもつので不輸であった。不入の権は,それらの荘園が平安後期に領域型荘園として立券荘号されるに際して,有力寺社領を主対象に官使や国使の不入が認められたものであり,官物と雑役がともに免除される場合が多かった。
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…インムニタスは,古代末期のローマ帝国では,諸種の公的負担からの免除を意味する法技術的用語であったが,フランク王国では主として教会大所領の特別な国制上の地位を表すようになる。7世紀前半いらい,国王は諸修道院などにインムニテート特権状を与え,その所領を公的裁判権力の管轄外において公吏の立入り,強制権の行使,公課の徴収を禁ずる(不輸不入)とともに,そうした諸権限を教会が自ら,またはフォークト(教会守護)を通じて行使することを認めた。教会領主はその所領内において,事実上,グラーフ(伯)に近い地位を認められたことになるが,逆にいえば国王はこの措置により国家の一般的統治組織に自ら穴をあけているわけである。…
※「不輸不入」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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