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デジタル大辞泉
「野村胡堂」の意味・読み・例文・類語
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野村胡堂
のむらこどう
(1882―1963)
小説家。岩手県紫波(しわ)郡彦部村(現紫波町)に生まれる。本名長一(おさかず)。1897年(明治30)県立盛岡中学に入学。金田一京助(きんだいちきょうすけ)、石川啄木(いしかわたくぼく)らを識(し)る。東京帝国大学法科に入学。父の死により中退。1912年報知新聞入社。人物評論などを連載、また「あらえびす」の名でレコード評論でも知られた。1931年(昭和6)『オール読物』創刊に際し、捕物帳(とりものちょう)の執筆を依頼され、愛読した『水滸伝(すいこでん)』の没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)の百発百中の投石の特技から銭形平次(ぜにがたへいじ)を創造する。27年間にわたる連載『銭形平次捕物控(ひかえ)』により1958年第6回菊池寛賞を受賞。そのほか、幕末動乱期3万両をめぐる攻防をつづった『三万両五十三次』(1934)、随筆『胡堂百話』(1959)がある。郷里紫波町中央公民館内に野村胡堂記念文庫が設けられている。没後勲三等瑞宝章(ずいほうしょう)を受ける。
[山崎一穎]
『尾崎秀樹・多田道太郎著『大衆文学の可能性』(1971・河出書房新社)』▽『尾崎秀樹著『文壇うちそと〈大衆文学逸史〉』(1975・筑摩書房)』
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野村胡堂 (のむらこどう)
生没年:1882-1963(明治15-昭和38)
小説家,音楽評論家。岩手県生れ。本名野村長一(おさかず)。別号あらえびす。東大法科中退。1912年《報知新聞》に入社,社会部長,学芸部長を務め,42年退社する。はじめ人物評論や科学小説を書いていたが,31年《オール読物》創刊に際し,依頼されて捕物帳シリーズ《銭形平次捕物控》を発表,好評を博す。他に《三万両五十三次》(1932-33),《池田大助捕物日記》(1943)などがある。49年捕物作家クラブを結成し会長となる。また西欧音楽に詳しく,レコードのコレクターとしても著名で,音楽評論の場合にはあらえびすの別号を用いる。著書に《バッハからシューベルトまで》(1932)などがある。
執筆者:浅井 清
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野村胡堂【のむらこどう】
小説家,音楽評論家。本名長一。岩手県生れ。東大仏法科中退。《報知新聞》記者となり,1942年までつとめた。1920年から小説を発表。時代小説が多く,1931年《オール読物》創刊に際して発表した捕物帳シリーズ《銭形平次捕物控》はその代表作。西洋音楽にくわしく,レコードのコレクターとしても有名。《あらえびす》の筆名で音楽評論でも活躍。
→関連項目半七捕物帳|文芸倶楽部
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野村胡堂 のむら-こどう
1882-1963 大正-昭和時代の小説家。
明治15年10月15日生まれ。45年報知新聞社に入社,社会部長,学芸部長を歴任。その間,小説,人物評論を発表,とくに昭和6年からかきはじめた「銭形平次捕物控」383話は好評を博した。「あらえびす」の名で音楽評論でも活躍した。昭和38年4月14日死去。80歳。岩手県出身。東京帝大中退。本名は長一。著作はほかに「隠密縁起」「池田大助捕物日記」など。
【格言など】思い残すことはない。満足だ(最期の言葉)
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野村胡堂
のむらこどう
[生]1882.10.15. 岩手,彦部
[没]1963.4.14. 東京
小説家。本名,長一。東京大学法科中退。報知新聞社に勤務するかたわら,大衆文学を書きはじめ,『銭形平次捕物控』 (1931~57) で多くの読者を集めた。ほかに『新版仇討十種』 (41) ,『幽霊大名』 (53) など作品の数はきわめて多く,また「あらえびす」の別号で書いた音楽評論でも一家をなした。
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世界大百科事典(旧版)内の野村胡堂の言及
【銭形平次捕物控】より
…[野村胡堂]作の小説。1931‐57年(昭和6‐32)《オール読物》などに発表。…
※「野村胡堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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