野村胡堂(読み)ノムラコドウ

デジタル大辞泉 「野村胡堂」の意味・読み・例文・類語

のむら‐こどう〔‐コダウ〕【野村胡堂】

[1882~1963]小説家・音楽評論家。岩手の生まれ。本名、長一。「銭形平次捕物控」などで大衆文学新生面を開く一方、「あらえびす」の筆名で「ロマン派の音楽」なども執筆。

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精選版 日本国語大辞典 「野村胡堂」の意味・読み・例文・類語

のむら‐こどう【野村胡堂】

  1. 小説家。岩手県出身。本名長一。東京帝大法科中退後、報知新聞社に入社。「銭形平次捕物控」などの大衆小説で作家的地位を築く。音楽評論家としても「あらえびす」の名で知られる。明治一五~昭和三八年(一八八二‐一九六三

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20世紀日本人名事典 「野村胡堂」の解説

野村 胡堂
ノムラ コドウ

大正・昭和期の小説家,音楽評論家



生年
明治15(1882)年10月15日

没年
昭和38(1963)年4月14日

出生地
岩手県紫波郡彦部村

本名
野村 長一(ノムラ オサカズ)

別名
俳号=薫舟,別名=野村 あらえびす(ノムラ アラエビス)

学歴〔年〕
東京帝国大学法科中退

主な受賞名〔年〕
菊池寛賞(第6回)〔昭和33年〕,紫綬褒章〔昭和35年〕

経歴
明治45年報知新聞社入社、社会部長、文芸部長を歴任。大正2年胡堂名義の処女作を発表。代表作「銭形平次捕物控」は昭和6年4月から32年8月まで書き続けられ、岡本綺堂の傑作「半七捕物帳」としばしば対比される。綺堂が英国型なのに対し、胡堂はアメリカ型のユーモア感覚を持つと言われる。不気味な怪奇譚「奇談クラブ」も代表作の一つ。24年捕物作家クラブ結成以来会長を務めた。33年菊池寛賞受賞、35年には紫綬褒章を受章。“あらえびす”の別名で音楽評論にも健筆を振るい、名著「名曲決定盤」などがある。38年1億円を投じて財団法人野村学芸財団を設立、育英奨学金や学術研究の助成を図った。平成7年岩手県紫波町に野村胡堂あらえびす記念館が完成。12年SPレコードコレクションがCD化され、「あらえびすSP名曲決定盤」(全10枚)として発売される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野村胡堂」の意味・わかりやすい解説

野村胡堂
のむらこどう
(1882―1963)

小説家。岩手県紫波(しわ)郡彦部村(現紫波町)に生まれる。本名長一(おさかず)。1897年(明治30)県立盛岡中学に入学。金田一京助(きんだいちきょうすけ)、石川啄木(いしかわたくぼく)らを識(し)る。東京帝国大学法科に入学。父の死により中退。1912年報知新聞入社。人物評論などを連載、また「あらえびす」の名でレコード評論でも知られた。1931年(昭和6)『オール読物』創刊に際し、捕物帳(とりものちょう)の執筆を依頼され、愛読した『水滸伝(すいこでん)』の没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)の百発百中投石特技から銭形平次(ぜにがたへいじ)を創造する。27年間にわたる連載『銭形平次捕物控(ひかえ)』により1958年第6回菊池寛賞を受賞。そのほか、幕末動乱期3万両をめぐる攻防をつづった『三万両五十三次』(1934)、随筆『胡堂百話』(1959)がある。郷里紫波町中央公民館内に野村胡堂記念文庫が設けられている。没後勲三等瑞宝章(ずいほうしょう)を受ける。

[山崎一穎]

『尾崎秀樹・多田道太郎著『大衆文学の可能性』(1971・河出書房新社)』『尾崎秀樹著『文壇うちそと〈大衆文学逸史〉』(1975・筑摩書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「野村胡堂」の意味・わかりやすい解説

野村胡堂 (のむらこどう)
生没年:1882-1963(明治15-昭和38)

小説家,音楽評論家。岩手県生れ。本名野村長一(おさかず)。別号あらえびす。東大法科中退。1912年《報知新聞》に入社,社会部長,学芸部長を務め,42年退社する。はじめ人物評論や科学小説を書いていたが,31年《オール読物》創刊に際し,依頼されて捕物帳シリーズ《銭形平次捕物控》を発表,好評を博す。他に《三万両五十三次》(1932-33),《池田大助捕物日記》(1943)などがある。49年捕物作家クラブを結成し会長となる。また西欧音楽に詳しく,レコードのコレクターとしても著名で,音楽評論の場合にはあらえびすの別号を用いる。著書に《バッハからシューベルトまで》(1932)などがある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「野村胡堂」の意味・わかりやすい解説

野村胡堂【のむらこどう】

小説家,音楽評論家。本名長一。岩手県生れ。東大仏法科中退。《報知新聞》記者となり,1942年までつとめた。1920年から小説を発表。時代小説が多く,1931年《オール読物》創刊に際して発表した捕物帳シリーズ《銭形平次捕物控》はその代表作。西洋音楽にくわしく,レコードのコレクターとしても有名。《あらえびす》の筆名で音楽評論でも活躍。
→関連項目半七捕物帳文芸倶楽部

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村胡堂」の解説

野村胡堂 のむら-こどう

1882-1963 大正-昭和時代の小説家。
明治15年10月15日生まれ。45年報知新聞社に入社,社会部長,学芸部長を歴任。その間,小説,人物評論を発表,とくに昭和6年からかきはじめた「銭形平次捕物控」383話は好評を博した。「あらえびす」の名で音楽評論でも活躍した。昭和38年4月14日死去。80歳。岩手県出身。東京帝大中退。本名は長一。著作はほかに「隠密縁起」「池田大助捕物日記」など。
【格言など】思い残すことはない。満足だ(最期の言葉)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野村胡堂」の意味・わかりやすい解説

野村胡堂
のむらこどう

[生]1882.10.15. 岩手,彦部
[没]1963.4.14. 東京
小説家。本名,長一。東京大学法科中退。報知新聞社に勤務するかたわら,大衆文学を書きはじめ,『銭形平次捕物控』 (1931~57) で多くの読者を集めた。ほかに『新版仇討十種』 (41) ,『幽霊大名』 (53) など作品の数はきわめて多く,また「あらえびす」の別号で書いた音楽評論でも一家をなした。

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367日誕生日大事典 「野村胡堂」の解説

野村 胡堂 (のむら こどう)

生年月日:1882年10月15日
明治時代-昭和時代の小説家;音楽評論家
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の野村胡堂の言及

【銭形平次捕物控】より

野村胡堂作の小説。1931‐57年(昭和6‐32)《オール読物》などに発表。…

※「野村胡堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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