小説家。明治22年9月1日、鳥取県士族井上孝道の1男3女の第2子として横浜市で生まれる。本名井上義道。鳥取県立米子(よなご)中学卒業、1905年(明治38)早稲田(わせだ)大学文科に入学。のちに日本大学政経科に転学。化粧品会社勤務後、作家生活に入る。20年(大正9)白井喬二の筆名で、時代小説に斬新(ざんしん)な趣向を取り入れた『怪建築十二段返し』を発表して注目された。24年から長編小説『新撰組(しんせんぐみ)』(1924~25)と『富士に立つ影』(1924~27)、短編小説集『盤嶽(ばんがく)の一生』(1932)を発表。早くから文芸の娯楽性を主張していた白井は、25年、娯楽小説の質を高める目的で、直木三十五、江戸川乱歩らと「二十一日会」を結成し、翌年『大衆文芸』を創刊した。35年(昭和10)直木賞の選考委員となる。61年から東京作家クラブ会長に就任。評論家としても活躍し、『大衆文学の論業・此峰(しほう)録』(1967)がある。作風は、日本在来の講談に着目した娯楽性の強い伝奇小説であり、理想的人間像を描く。昭和55年11月9日没。
[酒井英行]
『『定本 白井喬二全集』全16巻(1969~70・学芸書林)』▽『中谷博著『大衆文学』(1973・桃源社)』
大正・昭和期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。横浜生れ。本名,井上義道。大衆文学の創始者の一人であり,明朗型の人物を創造した大河小説作家として知られる。日本大学に在学中から編集,投稿に従ったが,31歳のおり《怪建築十二段返し》を《講談雑誌》に発表して以後文筆に専念した。初期には《神変呉越草紙》《忍術己来也》など伝奇小説が多かったが,《新撰組》(1924-25)で新境地を開き,《富士に立つ影》,《祖国は何処へ》(1929-32)で大衆文壇の先駆的存在となった。ほかに《盤嶽の一生》《帰去来峠》《瑞穂太平記》などがあり,戦後は異色短編で注目された。実作だけではなく作家の親睦組織二十一日会の結成(1925年10月),円本全集の刊行にも力を尽くし大衆文学の理論面でも貢献した。
執筆者:尾崎 秀樹
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…しかし狭義には,この大正末期に成立した新興文学を指して大衆文学と呼ぶ。この命名者は一般には白井喬二だとされているが,白井みずからは,〈大衆〉という言葉を民衆と同義に使ったのは自分だが,それに文学をつけたのは自分ではないと否定している。
[成立と多様化]
大衆文学は成立当時,時代小説だけを指していわれていた。…
…白井喬二の代表的長編小説。1924‐27年《報知新聞》連載。…
※「白井喬二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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