出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
戦国期に大名・武将が臨時に課した軍事費用。京都醍醐(だいご)寺理性院(りしょういん)の僧厳助(ごんじょ)〔「げんじょ」ともいう〕の日記である『厳助往年記』の1546年(天文15)8月の記録によると、三好孫二郎(みよしまごじろう)は、同年5月の山城(やましろ)国田原(たわら)成敗の際に、田原七郷に対して棟別に矢銭を課している。また織田信長が、1568年(永禄11)9月に足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて入京し、翌月に堺(さかい)に2万貫、本願寺に5000貫など、摂津(せっつ)・和泉(いずみ)2か国で矢銭を課したのは有名である。矢銭は棟別(家別)に課されたもののほかに、段別(土地面積別)に課されたものもある。
[鈴木敦子]
箭銭とも。戦国期,武将が町・郷村・寺社に賦課した軍用費。陣取をした際に臨時に賦課した。室町幕府の禁制では,1530年代半ば頃から兵粮米とともに矢銭をかけることを禁じている。郷村や寺社領の場合は棟別銭(むねべつせん)として,町の場合は地口銭(じぐちせん)として転化されたのであろう。織田信長は1568年(永禄11)に本願寺から5000貫文を拠出させ,和泉国堺にも2万貫文を課して拒否されたことは有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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