京都・奈良などの都市で,土地の間口の大きさに応じて賦課された臨時課税。原則としてその土地に居住する者が負担する。奈良では間別(まべち)銭ともいう。商工業の発達によって都市内部の土地が経済的価値を持つようになったのに応じて設けられたもので,鎌倉時代末に,稲荷祭礼の費用として京都五条以南の地域に地口銭をかけたのが初期の事例である。南北朝期に入ると,一般の寺社の造営・修理の費用を得ることを目的とした地口銭が数多く見られる。その額は通常,間口尺別5~10文で,初期は受給者である寺社が徴収にあたったが,しだいに室町幕府が独自に行うようになった。その後15世紀中葉になって,造内裏・伊勢遷宮などの国家的行事を目的とした地口銭が賦課されたが,応仁の乱を経た15世紀末以降は,稲荷祭礼などを除いて一般の地口銭は見られなくなる。江戸時代では,家屋の間数に応じて米や銭を町ごとに徴収して祇園会山鉾運営の費用に充てる地ノ口米(銭)の制度が見られた。
執筆者:馬田 綾子
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おもに南北朝~戦国時代に、室町幕府が京都など都市居住の商工業者の屋敷地や田畠(でんぱた)などに賦課した臨時の課税。伊勢大神宮(いせだいじんぐう)・内裏(だいり)・大社寺の造営や修理費、大嘗会(だいじょうえ)のための経費などを捻出(ねんしゅつ)するため臨時的に賦課したが、のちには恒常化の傾向を示している。その賦課・免除の権限は本来公家(くげ)政権が握っていたが、のちに室町幕府が徴収にあたったため、その権限も幕府に帰した。その賦課・割当ては「打つ」といわれ、道路に面した家屋の間口や洛中(らくちゅう)田畠の面積を測って地口帳を作成し、尺別(しゃくべつ)・段別(たんべつ)に賦課額が決定された。摂関家、門跡、東寺など有力社寺支配下の商工業者に対する地口銭は、免除されることもしばしばであった。
[佐々木銀弥]
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