一般的には、広義の知識がなんらかの意味で社会的に条件づけられることを認め、知識と社会との相互関係を研究しようとする社会学の一部門。このような発想は古くから存在するが、学問的に整備された形で確立され主張されたのは、第一次世界大戦後のドイツであり、その代表者はM・シェラーとマンハイムであった。
シェラーは、精神と衝動という二元論的な人間学にたって、「理念的因子と実在的因子の共働作用の秩序の法則を求める学問」としての「文化社会学」を構想した。シェラーがとくに注目したのは、その文化のうちでも、宗教、形而上(けいじじょう)学、実証科学という3種の知識であった。彼は一方でコントの「三状態の法則」を批判して、これら3種の知識を継起的なものではなく、同時共在的なものと考え、他方でマルクスの「上部構造―下部構造論」に反対して精神的価値の自律性を確保しようとした。そこには、自然支配と労働技術の知としての実証科学は教養の知としての形而上学に、それはさらに救済の知としての宗教に奉仕すべきだという価値観が働いている。しかし彼が実践的目標としたのはこれら3種の知識のバランスと協調であった。
これに対してマンハイムは、マルクスのイデオロギー論からあらゆる知識の「存在拘束性」というテーゼを引き出し、その自己適用を迫ることでマルクス主義の絶対化を避けようとする。他方、その帰結としての相対主義の危険に対しては、それぞれの立場の視座制約性を見渡すことのできる「相関主義」Relationismus(ドイツ語)の優位を主張し、その担い手を「自由に浮動する知識層」に求めた。このような存在拘束性の普遍的適用によってイデオロギー論が知識社会学になるという主張には、とくにマルクス主義の側から多くの批判がなされたが、マンハイムの考えがその後の知識社会学の展開に基本的インパクトを与えたことは疑いえない。
マートンは、マンハイムから存在拘束性の理論という枠組みを受け継ぎつつ、認識論をそれから切り離して、経験主義的方向に知識社会学を再編成しようとする。そこにはプラグマティズム的真理観の受容を含めて、いわば知識社会学におけるヨーロッパ型からアメリカ型への転換がある。前者が関心をもつのが知的エリートによる世界観やイデオロギーといった高度の知識であるのに対して、後者は大衆の世論や意見、通俗文化に関心をもつ。前者が重要な意味をもつ問題についての大規模理論を目ざすのに対し、後者は確実な調査手続による事実の実証を重視する。こういう二つの傾向の総合を目ざしつつ、マートンは独自の機能分析的方法に基づく「中範囲の理論」として、〔1〕マス・コミュニケーションの研究と、〔2〕科学社会学に、知識社会学の中心的テーマをみいだしている。〔1〕は社会心理学的なイデオロギー研究に、〔2〕は科学史に対する社会学的接近に多大のインパクトを与えた。
またシュッツ以来の「現象学的社会学派」は、日常世界におけるコモン・センスのレベルでのパーソナル・コミュニケーションの研究に、「社会学の社会学派」は、社会学そのもののあり方への反省に、知識社会学の課題をみいだしている。これらの傾向は、フランスにおけるデュルケームからモースを経てレビ・ストロースに至る人類学の流れのなかでの分類カテゴリーの起源の研究とも相まって、現代における知識社会学の活発な前線を形成している。
[徳永 恂]
『徳永恂編『知識社会学』(福武直監修『社会学講座11』1976・東京大学出版会)』▽『マンハイム著、高橋徹・徳永恂訳『イデオロギーとユートピア』(『世界の名著56』所収・1971・中央公論社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…マルクス,エンゲルスのイデオロギー論のねらいは,こうした支配階級のイデオロギーの虚偽性を社会の〈下部構造〉の矛盾との相関のなかで暴露し,批判することにあった。上部構造(2)イデオロギー論はその後,マルクス主義陣営以外では,第1次大戦後のドイツで〈知識社会学〉という社会学の一特殊分野を生み出すことになった。その体系家K.マンハイムはイデオロギーとユートピアとを対比し,両者ともに現実の社会には適合しない〈存在超越的〉な観念であるとしながらも,ユートピアが〈存在がいまだそれに達していない意識〉,つまり既存の社会をのりこえる革命的機能をもつ意識であるのに対し,イデオロギーは〈存在によってのりこえられた意識〉,つまり変化した新しい現実をとりこむことのできない,時代にとり残された意識,と規定した。…
…死去の年28年に彼はフランクフルト大学に移るが,20年代のほとんどはこのケルン大学を根拠地として旺盛な言論文筆活動を展開したのである。その中心テーマの一つは,ワイマール期ドイツの雑多なイデオロギーの乱立・抗争の克服を意図した〈知識社会学〉の建設,もう一つは混迷した人間観の再建をはかる〈哲学的人間学〉(人間学)の展開であった。その成果は《社会学および世界観学論集》4巻(1923‐24),《知識の諸形態と社会》(1926),《宇宙における人間の地位》(1927),《哲学的世界観》(1929)等々にまとめられたが,主著たるべき《形而上学》や《哲学的人間学》はついに完成されなかった。…
※「知識社会学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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