江戸中期の浮世絵師。紅摺絵(べにずりえ)期を代表する美人画家。小伝馬町三丁目の旅人宿糠屋(ぬかや)の養子となり、その家代々の俗称である七兵衛を名のる。号に
篠堂(たんしょうどう)、秀葩(しゅうは)がある。西村重長(しげなが)門人と伝えられ、1740年(元文5)ごろより作画を開始、豊潤にして清雅(せいが)温厚な画風で一時代を築き上げ、次代の鈴木春信(はるのぶ)らにも影響を与える。とくに幅広柱絵(はばひろはしらえ)の筆彩作品(紅絵(べにえ))、紅と草色のみで版彩色した大判紅摺絵に優れ、彼の非凡な色彩感覚を物語っている。代表作は『花下美人図』『常磐津(ときわず)本を持つ娘』『瀬川吉次(きちじ)の石橋(しゃっきょう)』『市川海老蔵(えびぞう)の鳴神上人(なるかみしょうにん)と尾上(おのえ)菊五郎の雲の絶間姫(たえまひめ)』など。墓所は浅草蔵前の正覚寺(通称榧寺(かやでら))にあり、狂歌師石川雅望(まさもち)は末子である。なお西村重信は豊信の前名という説があるが、未詳。
[浅野秀剛]
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…この派の流れは孫弟子の勝川春章,さらには春章の弟子の葛飾北斎へと受けつがれ,宮川・勝川・葛飾派という浮世絵肉筆画の主流を形成することになる。紅摺絵期の宝暦年間は,美人画の石川豊信,役者絵の鳥居清満(1735‐85)が全盛で,俳趣の濃い詩的な風俗表現が好まれた。京都の風俗画家西川祐信の作風が慕われ,その影響が明らかに認められるようになるのも,このころからである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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