死刑の一方法。西洋ではローマ法の磔が,イエス・キリストの処刑によって名高い。ローマにおいて磔は,はじめ奴隷に対する刑であったが,しだいに下層の人民,属領の人民,およびローマに対する反逆者に拡張された。受刑者を裸体にして顔をおおい,腕をひろげ,紐または釘で刑柱に打ちつけて刑柱を地上に立てる。足は両足あるいは片足ずつ釘で刑柱に打ちつけるか,紐で結びつける。身体をささえるために丸太を両脚の間にはさみ,また足の下に板をとりつけた。こうして受刑者をむちうち,放置しておくと,数日後に飢餓のために死ぬのである。すなわちローマ法の磔は,刀による迅速な死に値しないという侮辱的意味をもった死刑であった。キリスト教の影響によって,コンスタンティヌス帝の末年に磔刑(たつけい)は廃止され,その柱を利用する絞殺に代わった。
日本では,平安時代の末ごろから磔(八付(はつつけ),機物(はたもの)ともいう)が現れ,戦国時代には逆磔(さかさはりつけ)も行われた。江戸時代には幕藩において磔を最重の死刑とし,これに鋸挽(のこぎりびき),晒(さらし),引廻し(ひきまわし)などを付加した。江戸幕府は,主殺し,親殺し,関所破り,通貨偽造などにこれを科し,死後も死体を磔にすることがあった。江戸幕府の磔は槍で突き殺すもので,処刑者の手足を広げて刑柱に縄で結びつけ,着物を左右の袖わき下から腰のあたりまで切り破って胸に巻きつけ,胴縄,たすき縄をかけて刑柱を起こし,穴に埋めて立てる。突き手2人が左右から槍を持って進み出て,まず処刑者の面前で槍を合わせ(見せ槍),つぎに左右から交互にわき腹から肩先まで貫き,槍先が肩から30cm余も出るように突く。24~30回くらい突くと死体を改め,のどを左右から突き(止め槍),死体を3日2夜さらした。その形状から磔を〈木の空〉といったが,上方(かみがた)では鉄のかすがいで刑柱に打ちつけるなど,地方によって差異があった。
執筆者:平松 義郎
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罪人を柱に縛り付けて槍(やり)で刺し殺す刑罰。磔は西洋でもユダヤ、古代ギリシア、ローマなどで古くから行われた。おもにキリスト教の迫害に用いられ、イエス・キリストの磔が有名である。313年キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝はこれを廃止し、この後は架柱は絞殺用に使用された。
日本では、戦国時代に盛んであったが、江戸時代にも行われた。幕府の制度では、磔の刑場は浅草(千住(せんじゅ)の小塚原(こづかっぱら))と品川(鈴ヶ森)であったが、在方で悪事をした場合には、その場所で行うこともあり、また関所破りの場合には、その場所で磔に処する定めであった。引廻(ひきまわ)しは付加するときと、しないときがあった。科人(とがにん)が刑場に到着すると、馬から降ろし、罪木にあおむけに寝かせ、両足と両腕を横木に結び付け、罪木をおこし、根を穴の中に埋めた。初めに科人の面前で左右から槍先を交える。いわゆる見せ槍である。そして左右から「アリャアリャ」と声をかけて、見せ槍を引き、ただちに科人の左脇腹(わきばら)から肩先に、槍の穂先一尺余を突き出し、一つひねって槍を抜き、そのあと左右から、かわるがわる20から30本ぐらい突き、最後にのどに左から「止(とど)めの槍」を突いた。死体はそのまま三日二夜晒(さら)された。
[石井良助]
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死刑の一種で,罪人の体を木に「張り付け」て殺害することに由来する名称。古代末期から武家の刑罰として史料にみえる。江戸幕府の刑制(「公事方御定書」)では,主人や親に対する殺害・傷害の罪に対する刑罰とされ,罪人の両手両足を1本の柱,2本の横木に縛りつけ,槍で突いて絶命させる方式がとられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…《老子》,《荘子》天運篇などに見える〈芻狗(すうく)〉は快気祈願や厄払いのために神前に供えるわら細工の犬のことで,周代から三国時代ころまで行われたらしく,犠牲の代用品といえる。雨乞いに犬を殺して井戸や泉に投じたり,犬を城門にはりつけて邪気を防ぐ〈磔(たく)〉も行われた。古代人は狩猟時代からのよき伴侶であったこの獣を霊獣視し,水界の精霊,あるいは冥界の使者,案内者とも信じていたらしい。…
… 第2は団体法的刑罰の発達であって,村落などの地縁団体,武士の一族結合などに見られる血縁団体,さらには15世紀以降に発展する大名領での団体的結合(家中)等において,団体内部の闘諍をなるべく小規模に収めることで団体の平和と安全を維持しようとの要請から,仇討(敵討)を親子の間に限り,また第一次の仇討のみを認める法慣習,個人対個人の争いで一方が殺された場合,他方も殺害されるか,相手方に引き渡されるとする下手人の法慣習や喧嘩両成敗法が生まれたこと,犯罪者を団体外,領域外に放逐して,団体の保護の外に置く追放刑が,武家法,本所法で盛行したことなどが注目される。 第3は原始刑罰思想の表出であって,これを律令前の刑罰の再生とみるか,律令制下にも潜在的に生き続けたものの露頭とみるかは,なお確定しがたいとしても,(1)罪を穢(けがれ)とする観念に基づき,穢=禍いを除去する意味をもつ犯罪者の家屋検封や破却,焼却など,(2)死者の霊に対する加罰を意味する,犯罪者の死骸処刑(死骸の磔(はりつけ)や梟首(きようしゆ)),(3)刑罰の目的を,被害者の苦痛の回復とする観念に基づく,博奕者の指とか盗犯の指や手を切るなどの肉刑が,中世の刑事現象の特異な一面を示していることは疑いない。【佐藤 進一】
[日本近世]
中世末~戦国時代にかけて地方政権の相対的弱さと戦時期の緊張から刑罰はきわめて残虐になった。…
…たとえばエリザベス朝のイギリスの場合,舞台は客席に向かって張り出し,客席はそれを三方から囲むようになっていた。このような舞台を額縁舞台に対して張出舞台と呼ぶことができる。日本の現代の能舞台も,床が2辺において客席に接し,さらに〈橋懸り〉と呼ばれる部分でも客席に接しているから,一種の張出舞台だといえる。…
…劇場内の舞台と客席との関係は,前者が後者から明瞭に区別されている場合と,前者の全部または一部が後者によってとり囲まれている場合とに大別される。第1がいわゆる〈額縁(がくぶち)舞台〉で,おおむね近代以後の劇場に多く認められ(今日の日本のほとんどの劇場もこのかたちである),第2が近代以前の劇場に多い〈張出(はりだし)舞台〉である(例えば日本の能舞台もこの一種といえる)。 この額縁舞台・張出舞台の両者の区別は,実は単に形状の問題にとどまらず,そこで行われる演劇の成り立ち方の本質に触れる問題と関わっている。…
…〈カフェ・テアトロ〉とか〈天幕劇場〉などの名称も生まれた。従来のプロセニアム劇場で上演する場合でも,緞帳幕を使用せず,客席の中にまで突き出した張出(はりだし)舞台を作って,舞台と客席との交流をはかることが多くなった。このような舞台は,周囲の多方面からの視角に応じなければならない。…
※「磔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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