ソーシャル・ダンスsocial danceの訳語。男女が一組になって屋内のフロアで踊るダンス。古くはボールルーム・ダンスballroom dance(舞踏室の踊り)ともいわれた。
原始時代の舞踊は呪術や儀式として踊られ,男だけのもの,女だけのものとに分かれていたが,中世の農民の踊りの多くは男女がいっしょに楽しむものになり,フォーク・ダンスfolk danceが発達した。また中世のヨーロッパでは,農民の踊る荒々しい踊りは身分の高い男女にはふさわしくないとされた。宮廷では,ゆったりとした音楽による,踊りの規則のやかましいものへと変化して,優雅なメヌエット,ガボット,カドリーユなどが生まれた。フランス革命後,宮廷での儀式的なものより庶民的な踊りが好まれるようになり,古くからオーストリアの山岳地方で行われていた舞踊レントラーLändlerがしだいにワルツに発展,ウィーンを中心にヨーロッパ全域へと爆発的な流行をもたらした。ワルツ王J.シュトラウスは,〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが,男女が一対に組んで旋回をともないながら滑るように踊るワルツのステップに,今日の社交ダンスの起源をみることができる。熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り,ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた。これは第1次世界大戦直前イギリスに移入され,大戦後ヨーロッパ全体に流行し,現在のワルツの形が生まれた。また,テンポの速いクイック・ワルツを〈ビニーズ・ワルツViennese waltz〉といい,ドイツのパウル・クレブスが創案し,ダンス競技の種目に加えられている。
1910年にはアメリカのアイリーンIrene CastleとバーノンVernon C.のキャッスル夫妻が,ジャズを伴奏にして,はじめてヒール(踵)から脚を運ぶ普通の歩き方と同じ自然なスタイルで踊るダンスを〈フォックストロット〉と名づけて発表した。それまでの踊りは,トウ(つま先)から脚を運んでいたが,キャッスル夫妻の始めたこの〈キャッスル・ウォーク〉は,近代社交ダンスの基礎となった。ブルースもこの流れをくむものであり,また,イギリスのフロレンス・バーセルはフォックス・トロットよりさらにテンポの速い〈クイック・ステップquick step〉を考案した。アメリカの黒人の音楽と踊りからは〈チャールストン〉が生まれ,ニューヨークを中心に社交ダンスは大きく変化しつつ流行した。アルゼンチンで生まれた〈タンゴ〉はブエノス・アイレスで19世紀末ころ起こった舞曲による踊りだが,20世紀初めヨーロッパに渡り,フランスでは〈フレンチ・タンゴ〉として改良され,さらにイギリスに渡った。ヨーロッパで流行したタンゴは〈コンティネンタル・タンゴ〉と呼ばれる。
ラテン・アメリカでは,白人の持ち込んだメロディ,インディオが持つムード,黒人のリズムの3要素が混ざり合い,キューバ起源による〈ルンバ〉を生んだ。これはニューヨーク,パリ,ロンドンに渡り,〈スクエア・ルンバ〉〈キューバン・ルンバ〉として踊られた。ブラジルの〈サンバ〉は1923,24年ころパリに紹介され,29年ころにはニューヨークでも踊り始められた。闘牛場での行進曲として名高い〈パソドブレ〉は,スペインをはじめ,ヨーロッパのラテン系諸国,中南米諸国で踊られ,第2次大戦後,イギリスでも踊られた。ペレス・プラードが編曲し発表した〈マンボ〉は1940年代末から流行し,50年代には〈チャチャチャ〉が世界的に歓迎された。同じころジャズのリズムはジルバを生み,ブギウギの曲で踊られ,第2次大戦中イギリス,フランスに上陸したアメリカ兵によって広められた。イギリスではジルバから〈ジャイブjive〉を生んだ。
日本には明治初期に社交ダンスが導入され,1883年(明治16)に鹿鳴館が建設されてから盛んになった。カドリーユ,メヌエット,ウィンナ・ワルツ等を数組の男女が一団となって踊り,上流階級の人たちが楽しんだ。1918年,横浜市鶴見の花月園に欧米流の社交ダンス場が誕生したが,職業ダンサーをおかない女性同伴で通うものだった。関東大震災(1923)後,大阪に専属のダンサーをおいたダンスホールが続々と生まれ,東京にも波及した。ダンスホールでは専属のジャズ・バンドとタンゴ・バンドが生演奏を行っていた。当時最も人気のあったのはタンゴであったが,前記したキャッスル・ウォークで有名なフォックス・トロットやチャールストンも23年ころには移入されていた。第2次世界大戦により40年に政府の方針でダンスホールはすべて閉鎖された。戦後は,駐留軍のダンスホールからジルバが流行し,復活したダンスホールで盛んに行われるようになった。次いでツイスト,ゴーゴーなど即興的な踊りがアメリカからもたらされた。日本の社交ダンス界に大きな転換をもたらしたのは,イギリスのレン・スクリブナーとネリー・タガンの55年の来日であった。世界各国のダンスを統合し,イギリス・スタイルに整理されたものが,その後日本の社交ダンスの基本になっている。
日本の社交ダンスは一般大衆のものとして発達した一方,競技ダンスという形で専門化されていった。男性はタキシード,女性はイブニング・ドレスの正装でモダン系(ワルツ,タンゴ,フォックス・トロット,ビニーズ・ワルツ,クイック・ステップ)とラテン系(キューバン・ルンバ,キューバン・チャチャチャ,パソドブレ,サンバ,ジャイブ)の10種目を競い合う。1931年に銀座のダンスホール〈フロリダ〉で日本最初のアマチュアによる競技会が催されているが,戦後,50年に日本舞踏競技連盟が発足し,プロの競技会が行われるようになった。〈世界ダンス選手権大会〉は69年に日本で初めて行われ,77年に2度目が開かれた。
執筆者:矢沢 希代子+桜井 勤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…一般にはダンスをするための広い部屋をいうが,大正時代に登場した日本のダンスホールは,バンド(またはレコード)演奏があり,客の相手をするダンサーがいて,入場料を取って社交ダンスを踊らせる遊戯場であった。社交ダンスそのものは,すでに明治初年の東京浜離宮の延遼館をはじめ,1883年の東京京橋の明治会堂における民間最初の舞踏会や,同年に落成した鹿鳴館などで試みられたが,それらはいずれも政治家や高級官僚など特権階級の社交場であった。…
※「社交ダンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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