日本大百科全書(ニッポニカ) 「祝い着」の意味・わかりやすい解説
祝い着
いわいぎ
祝い事の際に用いられる服装。人の一生の通過儀礼に伴ってできたもので、とくに封建社会では上流階級や都市を中心に多種の儀礼が行われ、これらがしだいに民間や地方に広がった。現在では年祝いの種類も減り、宮参り、七五三、還暦などが行われている。
[岡野和子]
元服
男子が成年に達したとき、社会を構成する一員として認められる祝い。平安時代の貴族社会では、衣冠束帯の冠を頭につけることによって成人になったことを表し、武家社会では烏帽子(えぼし)祝いがなされた。この風習は明治以後廃れたが、1949年(昭和24)から20歳の「成人の日」に成人式が行われるようになった。これにはとくに決まった祝い着はなく、男子は背広、女子は振袖(ふりそで)などが多い。
[岡野和子]
宮参り
初めて氏神に参詣(さんけい)して、子供のすこやかな成育を祈願する行事。江戸時代に民間では、男児生後32日目、女児は33日目に行ったが、地方によって異なっている。かつては男児には黒紋付羽二重(はぶたえ)の熨斗目(のしめ)模様、女児には紋付友禅模様の広袖(ひろそで)の二枚襲(がさね)が里方から贈られた。下着を子供に着せ、祖母または母親が抱き、表着(うわぎ)を子供に着せかけ、付け紐(ひも)を抱いた人の背に回して結ぶ。紐には守り袋や巾着(きんちゃく)を下げ、神社の守り札を入れる。祖母も母親も紋服着用を正式とした。今日では、子供にベビー服を着せ、夫婦だけで略装ですます場合も多い。
[岡野和子]
七五三
数え年の3歳、5歳、7歳の11月15日に氏神に参詣する。3歳は、髪置(かみおき)の祝いで、本来は男女の祝いであるが、女児だけ祝う土地もある。男児は熨斗目模様の着流し、女児は友禅模様の四つ身の着物に帯を締める。5歳は袴着(はかまぎ)の祝いで、男児のみ行う。黒または勝色(かついろ)(褐色(かちいろ))の羽二重に染抜き五つ紋付、熨斗目模様。白羽二重の無垢(むく)の下着を重ね、羽織、袴をつける。7歳は帯解(おびとき)の祝いといって、女児の祝いである。着物の付け紐をとって腰紐を締め、帯を結ぶ。四つ身でなく本裁(ほんだち)仕立てとし、友禅縮緬(ちりめん)の二枚襲の振袖(ふりそで)に、肩揚げ、腰揚げをする。錦(にしき)織などの中幅の帯をふくら雀(すずめ)に結ぶ。緋色(ひいろ)鹿の子(かのこ)の帯揚、丸絎(まるぐけ)の帯締を用い、桃色や黄色縮緬のしごきを腰に巻き、後ろ脇(わき)で花結びにする。長襦袢(ながじゅばん)には緋色の半衿(はんえり)を掛ける。箱迫(はこせこ)を懐中に挟み、朱または黒塗りの骨の金銀の扇子を持つ。白足袋(たび)に黒または朱塗りの蒔絵(まきえ)の畳付きのぽっくりを履く。
[岡野和子]
還暦
数え年61歳の祝いで、本卦還(ほんけがえ)りともいう。赤子に還ることを意味し、着物、ちゃんちゃんこ、頭巾(ずきん)、帯、足袋、鼻緒、座ぶとんなど、赤無地でつくったものを近親者が贈った。
[岡野和子]
十三詣
民間では13歳ぐらいで前髪を落とし、農漁村で若衆組のあるところでは、若衆宿に入って社会の一員としての仲間入りをした。女子も初経(初潮)をみるなど、一定年齢になると十三詣をした。たとえば京都では嵯峨(さが)法輪寺の虚空蔵(こくうぞう)に、13歳の少年少女が正装して、福徳、知恵、美声を授かるために参詣した。近年この風習は復活されつつある。
また漁村では、大漁(たいりょう)のときに祝い半纏(ばんてん)を着る風習がある。半纏の背や腰の部分には、網に鯛(たい)、鯉(こい)、海老(えび)などに波、末広、鶴亀(つるかめ)などを組み合わせた模様がつけられている。
[岡野和子]