神光院(読み)じんこういん

精選版 日本国語大辞典 「神光院」の意味・読み・例文・類語

じんこう‐いん ジンクヮウヰン【神光院】

京都市北区西賀茂神光院町にある真言系単立寺院。山号は放光山。建保五年(一二一七上賀茂神社社務職松下能久(たかひさ)慶円開山に迎え社寺内創建。空海、太田垣蓮月尼が隠棲した。本尊弘法大師像は京都三弘法の一つ。西賀茂神光院。厄除(やくよけ)大師

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日本歴史地名大系 「神光院」の解説

神光院
じんこういん

[現在地名]北区西賀茂神光院町

上賀茂かみがも神社の西にあり、放光山と号し、真言系の単立寺院。本尊弘法大師(空海)像。地誌類によれば、当地は推古天皇一七年に建てられた瓦屋かわらや寺の跡で、近辺にあった西賀茂瓦窯で働く瓦職人の宿坊にもなった所と伝える。平安初期空海が当地で修行したおり愛染明王像をつくり、また上賀茂神社の懇望により自像を刻んで安置したのに始まるという。しかし寺伝では、建保五年(一二一七)上賀茂神社社務職松下能久が霊光の照らした所に神殿を建立すべしとの神託を受け、大和三輪みわ(現奈良県桜井市)の慶円を請じて開創したのが当寺の起源とする。神光院の名はそれにちなむといい、さらに能久の子氏久が山城醍醐寺塔頭金剛王こんごうおう院の覚済を院主に請じて以来、当寺は金剛王院に属してその兼帯とされた。「雍州府志」に「在霊源寺之東、真言宗而属醍醐寺」とあり、「山城名跡巡行志」には門と堂が南向きであると記される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神光院」の意味・わかりやすい解説

神光院
じんこういん

京都市北区西賀茂(にしかも)神光院町にある真言(しんごん)宗の単立寺院。山号は放光山(ほうこうさん)。本尊は弘法(こうぼう)大師像。弘法大師の霊場で、通称「上の弘法さん」とよばれる。東寺(とうじ)、仁和寺(にんなじ)とともに京都三弘法の一つ。もと上賀茂神社の境内にあって瓦屋(かわらや)寺と称していたともいうが、詳細は不明。寺伝によれば、1217年(建保5)に上賀茂社社務職松下能久(たかひさ)が神託を受け、大和(やまと)(奈良県)三輪(みわ)の慶円(けいえん)を招いて中興。のち醍醐寺(だいごじ)金剛王寺(こんごうおういん)の覚済(かくさい)が院主となってから醍醐寺に属した。江戸時代には寺領70石であった。その後荒廃したが、幕末の歌人太田垣蓮月(おおたがきれんげつ)が隠棲(いんせい)した茶所(ちゃしょ)が、境内に数寄屋(すきや)風休憩所として残っている。寺宝に絹本着色仏眼曼荼羅(ぶつげんまんだら)図1幅、『細字金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』、『悉曇(しったん)略記』1巻などの国重要文化財がある。

[祖父江章子]

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