コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

神屋宗湛 かみやそうたん

3件 の用語解説(神屋宗湛の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

神屋宗湛【かみやそうたん】

神谷とも記す。筑前(ちくぜん)博多の豪商。茶人。石見(いわみ)銀山を開発した寿貞(じゅてい)の孫で,豊臣秀吉の厚遇を得,千利休らと交わる。朝鮮,中国および南洋貿易に従事。
→関連項目島井宗室

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

朝日日本歴史人物事典の解説

神屋宗湛

没年:寛永12.10.28(1635.12.7)
生年:天文22.1.1(1553.1.14)
安土桃山・江戸前期の筑前博多の豪商,茶人。通称善四郎,字は貞清,剃髪して置安斎惟精宗湛。神屋家6代目で紹策の子。博多の戦火を避けて家族と共に唐津に避難。天正14(1586)年冬,豊臣秀吉の招きで上洛,大徳寺古渓宗陳を戒師として得度した。翌15年1月の大坂城での大茶湯会で,「筑紫ノ坊主ドレゾ」「ノコリノ者共ハノケテ筑紫ノ坊主一人ニ能ミセヨ」「ツクシノ坊主ニメシヲクワセヨ」「ソノ筑紫ノ坊主ニハ四十石ノ茶ヲ一服トックリトノマセヨヤ」「新田肩衝手ニトリテミセヨ」と秀吉より直接声をかけられ面目をほどこした。その後秀吉のお供で博多の焼け跡を検分し,博多町割りのとき,間竿を使って秀吉を助けた。また宗湛茶室に秀吉を招いた。名島,博多の町家の建設,博多への兵糧米の集荷など兵站基地商人として秀吉のために働いた。黒田長政の福岡城建設にも銀を献上し,長政の父孝高とは水魚の交わりをした。のち藩主黒田忠之により家宝の博多文琳(茶入れ)を召し上げられ茶人としての命を捨てた。<著作>『宗湛日記』<参考文献>武野要子『博多の豪商』

(武野要子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かみやそうたん【神屋宗湛】

1551‐1635(天文20‐寛永12)
織豊政権より江戸幕府初期に至る博多の豪商で,茶人としても有名。幼名善四郎,字は貞清。神屋家は室町中期より代々博多の主だった豪商で,2代目主計は1539年(天文8)に遣明船の総船頭をつとめるなど,一族とともにたびたび遣明船貿易に従事した。また貿易の関係で従来から神屋家は出雲の鷺銅山の銅を求めていたが,3代目寿貞によって鉛を媒剤とする銀の製錬技術を輸入し,1533年他の博多の吹工の協力を得て石見銀山の経営に成功した(《銀山旧記》)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内の神屋宗湛の言及

【博多商人】より

…戦国期に博多は自治都市化するが,それを担ったのが博多の有力商人であったと考えられる。戦国末から近世初頭にかけて豪商が活躍したが,博多の島井宗室神屋宗湛はその代表的存在であった。宗室は博多,対馬,朝鮮の間で貿易を行い,大友氏と深い関係を持った。…

※「神屋宗湛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

神屋宗湛の関連情報