神護寺跡(読み)じんごじあと

日本歴史地名大系 「神護寺跡」の解説

神護寺跡
じんごじあと

[現在地名]金沢市尾山町

江戸時代、日光東照宮の分霊を勧請した東照宮(現尾崎神社)別当寺で、城外甚右衛門じんえもん坂下に位置した。北叡山と号し、天台宗であった。寛永一七年(一六四〇)の分霊勧請に伴い、東照宮別当として江戸上野寛永寺の院家常照院憲海が招請され、同二〇年憲海の別当屋敷が当地に建てられたことに始まる(「延宝年中社寺来歴」など)。敷地は南北約六六間・東西約二八間で(延宝町絵図)、地内には徳川将軍家霊堂も含まれていた。


神護寺跡
じんごじあと

[現在地名]熊本市宮内

近世の藤崎ふじさき八旛宮(現藤崎台球場付近)北東に隣接していた藤崎八旛宮の神宮寺で、豊嶺山明王院と号し、天台宗、京都大仏方広寺妙法院末寺。本尊阿弥陀如来。縁起(国誌)によれば、加藤清正朝鮮出兵(蔚山籠城)戦勝をおさめた神恩に対し、文禄年間(一五九二―九六)藤崎宮七堂のうち愛染明王堂を改め建立した神宮寺。宝祥延長・鎮護国家霊場であった。開山は秀舜(または秀俊)。寺領の一〇〇石は藤崎宮神領二〇〇石のうちから配当された。細川氏入国以降も同額を寄付、さらに東照宮(徳川家康)・台徳院(秀忠)・常憲院(綱吉)の霊碑供料米一二〇俵、護摩供料米二〇石、寄付米三〇石などが毎年寺納された。


神護寺跡
じんごじあと

[現在地名]水口町北脇

近世、柏木かしわぎ神社(若宮八幡宮)に接して所在した真言宗寺院。現存しない。寺伝によれば、正暦年間(九九〇―九九五)創建という。柏木御厨年貢注進目録(山中文書)の元徳三年(一三三一)分に「神護寺 四反小」とあるのが当寺とその寺田のことと考えられ、早くから若宮八幡宮の別当を勤めたと思われる。寛永一三年(一六三六)の若宮八幡宮由緒書(柏木神社文書)に「社僧上ノ坊」の名がみえ、若宮八幡宮の宮寺八ヵ寺の一と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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