神道教団の一つ。1940年(昭和15)以前は「神道(本局)」が教派名。教派神道の一派独立が相次いだとき、独立するに至らない教会をまとめる形で、1886年(明治19)に「神道(本局)」が結成された。初代管長には、幕末に老中を務め維新後に神道事務局の管長を経験した稲葉正邦(いなばまさくに)(1834―1898)が着任。以後、稲葉正善(まさよし)(1848―1902、第5代館山(たてやま)藩主)、本多康穣(ほんだやすしげ)(1835―1912、第14代膳所(ぜぜ)藩主)、長谷信成(ながたにのぶなり)(旧公家(くげ))といった、もと武士・公家階級の出身者が管長を継いだ。神職の出である神崎一作(1867―1938)が5代管長となってから、教義面での整備も多少なされた。1940年に現在の神道大教と名称を変える。第二次世界大戦後も、全国の神道系教会の事務局的性格が強い。本部は東京都港区西麻布。神社数52、教会数94、布教所数42、教師数517、信者数2万3782(『宗教年鑑』平成26年版)。
[井上順孝]
教派神道の一派。神道本局を1940年に改称したもの。1875年大教院解散後,神道関係者は神道事務局を創設したが,黒住教,神道修成派等が独立していくなかで,一派独立をなしえない旧教導職が84年に稲葉正邦(1834-98)を管長に神道本局を組織,各地に分局,支局を設置,86年以後〈神道〉の名称で独立教派の扱いを受けた。宮中三殿奉斎の神霊をまつり,〈三条教則〉を教憲となし,惟神(かんながら)の大道を拡張し神道を宣揚することを目的とした。その実態は,特定の神道説にもとづく教義をもたず,神道系,山岳信仰系,法華系などの多様な教会が便宜上から結集した連合体として存在していたにすぎない。
執筆者:大濱 徹也
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…(2)江戸時代後期に発達した富士信仰と木曾御嶽信仰の講を再編成した実行教,扶桑教,御嶽(おんたけ)教。(3)おもに明治初年に組織された惟神(かんながら)の道に立つ禊(みそぎ)教,神理教,神習教,大成教,神道修成派,大社教,神道本局(のち神道大教),神宮教。 第1の習合神道系創唱宗教では,黒住教は天照大神,太陽神を主神とする独自の民衆的神道説をかかげているが,天理教の天理王命,金光教の天地金乃神の信仰は,神社信仰を中心とする狭義の神道とは大きく隔たっている。…
※「神道大教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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