稲葉岩吉(読み)イナバ イワキチ

20世紀日本人名事典 「稲葉岩吉」の解説

稲葉 岩吉
イナバ イワキチ

大正・昭和期の東洋史学者 満州建国大学教授。



生年
明治9年12月4日(1876年)

没年
昭和15(1940)年5月23日

出生地
新潟県村上

旧姓(旧名)
小林

別名
号=君山

学歴〔年〕
高商附属外語学校(現・東京外国語大学)支那語部〔明治33年〕卒

学位〔年〕
文学博士(京都帝大)〔昭和7年〕

経歴
上京遊学の間、内藤湖南師事中国近代史、朝鮮史を研究。明治33年北京に留学、北清事変を体験した。35〜37年大阪商船漢口支店勤務日露戦争には陸軍通訳として従軍。40年満鉄歴史調査部の「満州歴史地理」編集に参加、45年安東栄男らと朱舜水記念会を組織、「朱舜水全集」を刊行。大正4年から参謀本部陸軍大学校、山口高等商業学校などで東洋史、中国政治史、社会経済史などを講義した。11年朝鮮総督府朝鮮編纂委員会委員に転じ、14年朝鮮史編修会の修史官となり、長く修史事業を主宰した。昭和12年満州建国大学教授となる。その間、7年「光海君時代の満鮮関係」の研究で文学博士、13年「朝鮮史」(全35巻)を完成させた。他の著書に「清朝全史」「支那社会史研究」「近代支那史」「朝鮮文化史研究」「増訂満州発達史」「満州国史通論」「支那近世十講」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲葉岩吉」の意味・わかりやすい解説

稲葉岩吉
いなばいわきち
(1876―1940)

朝鮮・満州史学者。旧姓は小林。号は君山。東京外国語学校(現東京外国語大学)で中国語を学んだのち中国に渡り、日露戦争には陸軍通訳として従軍した。1909~15年(明治42~大正4)南満州鉄道の歴史調査部で『満州歴史地理』編纂(へんさん)に参加した。15年陸軍大学教官に就任。その後25~37年(大正14~昭和12)朝鮮総督府修史官として朝鮮史編修会で『朝鮮史』全37巻の編纂事業に従事した。37年満州の建国大学教授に就任。著書は『満州発達史』など。

[吉田光男]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲葉岩吉」の解説

稲葉岩吉 いなば-いわきち

1876-1940 明治-昭和時代前期の東洋史学者。
明治9年12月4日生まれ。内藤湖南に師事。明治33年北京に留学,41年から満鉄調査部で「満州歴史地理」の編修にくわわる。大正14年より朝鮮総督府の修史官として「朝鮮史」35巻を編修。昭和12年満州建国大教授。昭和15年5月23日死去。65歳。新潟県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。著作に「清朝全史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲葉岩吉」の意味・わかりやすい解説

稲葉岩吉
いなばいわきち

[生]1876. 新潟,村上
[没]1940.5.23. 満州,新京
東洋史学者,文学博士。号は君山。旧姓小林。 1900年より中国に渡り,一時大阪商船に勤務,09年南満州鉄道株式会社の調査部に入り,15年陸軍大学校教官。 22年より朝鮮総督府において『朝鮮史』編集に従事。 37年満州建国大学教授。主著『清朝全史』『満州発達史』。

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367日誕生日大事典 「稲葉岩吉」の解説

稲葉 岩吉 (いなば いわきち)

生年月日:1876年12月4日
大正時代;昭和時代の東洋史学者。満州建国大学教授
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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