20世紀日本人名事典 「立作太郎」の解説
立 作太郎
タチ サクタロウ
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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国際法学者。東京生れ。1897年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後ただちに大学院に進学。フランス,イギリス,ドイツへ留学ののち,1904年に母校の教授となり,外交史と国際法を担当する。08年に法学博士。訳書をはじめ,非常に多数の著書・論文を発表したが,なかでも《平時国際法論》(1930)と《戦時国際法論》(1931)は,国際法に関する日本ではじめての本格的な体系書として高く評価されている。外務省の嘱託として,多数の国際会議に出席した関係もあって,《時局国際法論》(1934),《現実国際法諸問題》(1937)など,時事問題を扱った著作も多い。20年,帝国学士院会員となった。
執筆者:波多野 里望
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
国際法学者。東京生まれ。1897年(明治30)東京帝国大学法科大学政治学科卒業。1900年(明治33)外交史研究のためイギリス、ドイツ、フランスに留学、04年帰国後東京帝国大学教授となり、外交史、のち国際法を担当。05年法学博士、20年(大正9)日本学士院会員となる。また、09年ロンドン海戦法規会議、19年パリ講和会議、22年ワシントン会議、30年(昭和5)ハーグ国際法典編纂(へんさん)会議に出席。34年に定年退官し同大学名誉教授となる。この間30年にわたり国際法を講義、退官後も多くの研究書を著した。日本におけるオーソドックスな国際法学の創始者で、ホールやオッペンハイムの研究の基礎のうえに、独自の丹念で綿密な研究を積み重ね、実証的国際法学を樹立した。学問一筋に生きた学者で、国際法と外交史に関する著書、論文がきわめて多く、主著には『平時国際法論』(1930)、『戦時国際法論』(1931)などがある。
[池田文雄]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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