竹内綱(読み)たけうちつな

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹内綱」の意味・わかりやすい解説

竹内綱(たけうちつな)
たけうちつな
(1840―1922)

明治大正時代の政治家実業家。「たけのうち」ともいう。天保(てんぽう)10年12月26日、土佐国幡多(はた)郡宿毛(すくも)村(高知県宿毛市)に生まれる。宿毛領主伊賀氏の家臣。戊辰(ぼしん)戦争に従軍し、明治政府の官吏となったが数年で辞職。1875年(明治8)には後藤象二郎(ごとうしょうじろう)と高島炭鉱経営にあたる。西南戦争では立志社挙兵計画に加わった罪で禁獄1年に処せられた。1881年自由党結成に参加し、1890年の第1回総選挙以来、高知県から衆議院に3回当選。土佐出身長老として政党と藩閥・官僚との妥協調和に努め、政界に重きをなした。また財政手腕に富み、日清(にっしん)戦争後、朝鮮京釜(けいふ)鉄道や京仁(けいじん)鉄道の経営に携わり実業界で活躍した。首相を務めた吉田茂は五男。大正11年1月9日没。

[松永昌三]

『『竹内綱自叙伝』(明治文化研究会編『明治文化全集第22巻 雑史篇』所収・1929・日本評論社)』


竹内綱(たけのうちつな)
たけのうちつな

竹内綱

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「竹内綱」の解説

竹内 綱
タケノウチ ツナ


肩書
衆院議員(自由党),京釜鉄道専務理事

別名
通称=竹添 進一郎(タケゾエ シンイチロウ) 字=光鴻

生年月日
天保10年12月26日(1839年)

出生地
土佐国宿毛村(高知県宿毛市)

経歴
戊辰戦争に従軍後、明治3年大阪府典事、少参事、大蔵省六等出仕となり、8年後藤象二郎とともに高島炭坑の経営にあたる。10年林有造らと西南戦争に呼応しようとした罪で禁獄1年の刑に処せられる。その後板垣退助の自由党結成に尽力し、23年以降衆院議員に当選3回、自由党、立憲政友会に所属した。29年京釜鉄道専務理事、のち芳谷炭坑社長となり、40年以降は東京の実業界で活躍。また秋田鉱山専門学校(現・秋田大学鉱山学部)を創立した。著書に「竹内綱自叙伝」がある。

没年月日
大正11年1月9日

家族
息子=竹内 明太郎(実業家・政治家) 吉田 茂(首相)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「竹内綱」の解説

竹内 綱
タケノウチ ツナ

江戸時代末期〜大正期の実業家,政治家 衆院議員(自由党);京釜鉄道専務理事。



生年
天保10年12月26日(1840年)

没年
大正11(1922)年1月9日

出生地
土佐国宿毛村(高知県宿毛市)

別名
通称=竹添 進一郎(タケゾエ シンイチロウ),字=光鴻

経歴
戊辰戦争に従軍後、明治3年大阪府典事、少参事、大蔵省六等出仕となり、8年後藤象二郎とともに高島炭坑の経営にあたる。10年林有造らと西南戦争に呼応しようとした罪で禁獄1年の刑に処せられる。その後板垣退助の自由党結成に尽力し、23年以降衆院議員に当選3回、自由党、立憲政友会に所属した。29年京釜鉄道専務理事、のち芳谷炭坑社長となり、40年以降は東京の実業界で活躍。また秋田鉱山専門学校(現・秋田大学鉱山学部)を創立した。著書に「竹内綱自叙伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「竹内綱」の意味・わかりやすい解説

竹内綱【たけのうちつな】

明治・大正の政治家,実業家。土佐(とさ)高知藩の出身。吉田茂の父。大蔵省出仕後,後藤象二郎とともに高島炭鉱を経営。立志社に加わり,西南戦争に関係し入獄。1881年自由党役員となる。1890年以後衆議院議員に当選3回。以後伊藤博文と自由党との連携を策す。のち朝鮮の京釜(けいふ)鉄道の創立経営に関与。

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朝日日本歴史人物事典 「竹内綱」の解説

竹内綱

没年:大正11.1.9(1922)
生年:天保10.12.26(1840.1.30)
明治大正期の実業家。土佐国幡多郡宿毛村(高知県宿毛市)生まれ。土佐藩家老伊賀氏の重臣。理財に才あり,伊賀家の財政を扱う。戊辰戦争で宿毛軍に属し東北に出征。明治3(1870)年大阪府出仕,6年大蔵省6等出仕に進んだが,間もなく辞職。後藤象二郎の蓬莱社に参画,高島炭鉱の経営を担当。西南戦争(1877)に際し立志社の挙兵策謀の銃器購入に関与,発覚して禁獄1年。出獄後は板垣退助を助けて自由党創設に奔走,第1回総選挙(1890)で衆院議員に高知県から当選,29年朝鮮半島の京釜鉄道の専務理事となり実業界に転じた。40年以後は東京の実業界で活躍。昭和期の名宰相吉田茂は綱の実子。東京で没す。<著作>『竹内綱自叙伝附竹内綱獄中日記抄録』(『明治文化全集』25巻)

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「竹内綱」の意味・わかりやすい解説

竹内綱 (たけのうちつな)
生没年:1839-1922(天保10-大正11)

明治・大正期の政治家,実業家。吉田茂の父。土佐藩出身。戊辰戦争に従軍し,維新後,官吏となったが1875年辞職。後藤象二郎と高島炭坑の経営に従事した。立志社に加わり,西南戦争に呼応しようとしたため投獄された。81年自由党の結成に参加。90年帝国議会開設以来衆議院議員に当選3回。日清戦争後実業界に進出し,朝鮮の京釜鉄道,芳谷炭坑の社長などを務めた。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内綱」の解説

竹内綱 たけのうち-つな

1840*-1922 明治-大正時代の実業家,政治家。
天保(てんぽう)10年12月26日生まれ。吉田茂の父。土佐(高知県)宿毛(すくも)の伊賀家につかえ,戊辰(ぼしん)戦争に参加。明治8年から後藤象二郎とともに高島炭鉱を経営。西南戦争の際挙兵に失敗して入獄。自由党の結成に参加し,23年衆議院議員(当選3回)。のち実業界にもどった。大正11年1月9日死去。84歳。通称は万次郎。号は武陵。

竹内綱 たけうち-つな

たけのうち-つな

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