デジタル大辞泉
「竹山道雄」の意味・読み・例文・類語
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たけやま‐みちお【竹山道雄】
- 評論家・ドイツ文学者。大阪の生まれ。小説「ビルマの竪琴」、評論「昭和の精神史」など。明治三六~昭和五九年(一九〇三‐一九八四)
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竹山 道雄
タケヤマ ミチオ
昭和期のドイツ文学者,評論家 元・東京大学教授。
- 生年
- 明治36(1903)年7月17日
- 没年
- 昭和59(1984)年6月15日
- 出生地
- 大阪府大阪市東区
- 出身地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京帝大独文科〔大正15年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 毎日出版文化賞〔昭和23年〕「ビルマの竪琴」,芸術選奨文部大臣賞(第1回)〔昭和25年〕「ビルマの竪琴」,文芸春秋記者賞(第14回)〔昭和33年〕「妄想とその犠牲」,読売文学賞(第13回)〔昭和36年〕,菊池寛賞(第31回)〔昭和58年〕
- 経歴
- 東大を出てドイツに留学後、一高、東大教授を務め、昭和26年退官後は著作活動に専念。戦前は独文学者として「ゲーテ詩集」やニーチェの「ツァラトストラはかく語りき」を翻訳し、シュバイツァーを初めて日本に紹介。戦後の22年に発表された戦争批判の長編小説「ビルマの竪琴」は映画、演劇化されて広く共感を呼んだ。また評論家として戦中は軍部を批判、戦後は進歩的思想に反対し続けたリベラリストで、43年には「米原子力空母エンタープライズの寄港に賛成」と発言、論争を呼んでいる。他の著書に「昭和の精神史」「失われた青春」「古都遍歴」、「竹山道雄著作集」(全8巻 福武書店)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹山道雄
たけやまみちお
(1903―1984)
評論家、独文学者。大阪に生まれ、幼時を京城(現ソウル)で過ごす。東京帝国大学独文科卒業後、旧制一高講師となる。1927年(昭和2)より3年間ドイツ留学、帰国後一高教授となったが、51年(昭和26)退職後は評論活動を続ける。ニーチェ研究家として知られるが、戦後、小説『ビルマの竪琴(たてごと)』(1948)によって広く読書界に迎えられる。以後『昭和の精神史』(1956)、『ヨーロッパの旅』(1959)、『日本人と美』(1970)などを刊行。時代のゆがみをヒューマニスティックな平衡感覚で指摘し正す態度を貫いた。
[福田宏年]
『『昭和の精神史』(講談社学術文庫)』
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竹山道雄
たけやまみちお
[生]1903.7.17. 大阪
[没]1984.6.15. 東京
ドイツ文学者,評論家,小説家。1926年東京帝国大学文学部独文科卒業。ヨーロッパ留学ののち,1930年第一高等学校教授。1939年『わが生活と思想より』の翻訳により,日本にアルベルト・シュバイツァーを紹介。フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトストラかく語りき』(1941。→ツァラトゥストラはかく語りき),『ゲーテ詩集』(1944)などの翻訳がある。児童雑誌『赤とんぼ』に連載した長編小説『ビルマの竪琴』(1947~48)は戦後児童文学の記念碑的作品となった。『ヨーロッパの旅』(1957),『剣と十字架――ドイツの旅より』(1963)などの文明批評,『失われた青春』(1951)など人道主義的立場で人生を語った評論も多い。ほかに『京都の一級品――東山遍歴』(1965)など。
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竹山道雄 たけやま-みちお
1903-1984 昭和時代のドイツ文学者,評論家。
明治36年7月17日生まれ。ドイツ留学後,一高教授。昭和26年東大教授を退官後は,左右の全体主義を批判する立場から評論活動をおこなった。戦後に発表した小説「ビルマの竪琴」でも知られる。芸術院会員。昭和59年6月15日死去。80歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「昭和の精神史」「剣と十字架」など。
【格言など】日本は死についてはじつに豊かな国だった。むかしの日本人は死については大家だった(「死について」)
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竹山 道雄 (たけやま みちお)
生年月日:1903年7月17日
昭和時代のドイツ文学者;評論家
1984年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の竹山道雄の言及
【児童文学】より
…その間にあって,宮沢賢治,新美南吉の童話は想像ゆたかな物語性で異色を放ち,また幼年童話における浜田広介は独特な調子で近代説話を語り,それぞれ戦中・戦後にわたって広範な読者をもった。 第2次世界大戦後,平和と民主主義という新しい価値観の到来とともに,《赤とんぼ》《[銀河]》《子供の広場》など文化的・進歩的な児童雑誌の創刊があいつぎ,一種熱っぽい状況のなかで,石井桃子《ノンちゃん雲に乗る》(1947),竹山道雄《ビルマの竪琴(たてごと)》(1948),壺井栄《二十四の瞳》(1952)など今日にも残る作品が生まれた。これらはいずれも短編中心だった日本の児童文学にはめずらしい本格的な長編作品だったが,その作者がいずれも未明を中心とした童話文壇の人脈でないところから現れた点は象徴的である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」