竹本弥太夫(読み)タケモト ヤダユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本弥太夫」の解説

竹本 弥太夫(5代目)
タケモト ヤダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

生年月日
天保8年

出生地
大坂・堀江(大阪府)

経歴
明治4年文楽座に入り、19年退座。27年彦六座の再興櫓下となる。32年引退。後は、後進育成、新作作曲につとめた。「大晏寺」「橋本」を得意とした。著書に「弥太郎日記」がある。通称“堀江の大師匠”。

没年月日
明治39年 10月30日 (1906年)

家族
息子=木谷 蓬吟(演劇研究家)


竹本 弥太夫(6代目)
タケモト ヤダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

別名
前名=竹本 長子太夫

生年月日
慶応2年

出身地
大阪

経歴
5代目竹本弥太夫の門弟で、世話物語り口は当代随一、大正期の名人といわれた。没後弥太夫名は中絶

没年月日
大正13年 6月6日 (1924年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹本弥太夫」の解説

竹本 弥太夫(6代目)
タケモト ヤダユウ

江戸時代末期〜大正期の義太夫節太夫(文楽)



生年
慶応2年(1866年)

没年
大正13(1924)年6月6日

出身地
大阪

別名
前名=竹本 長子太夫

経歴
5代目竹本弥太夫の門弟で、世話物の語り口は当代随一、大正期の名人といわれた。没後弥太夫名は中絶。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本弥太夫」の解説

竹本弥太夫(5代) たけもと-やだゆう

1837-1906 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)8年4月4日生まれ。義太夫節。3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の弟子で,明治4年文楽座にはいる。27年彦六座が再興され稲荷座となった際,その櫓下(やぐらした)となった。堀江の大師匠といわれ,「大晏寺堤(だいあんじづつみ)」「橋本」などを得意とした。明治39年10月30日死去。70歳。大坂出身。日記に「竹本弥太夫日記」。

竹本弥太夫(4代) たけもと-やだゆう

1814-1868 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化11年生まれ。義太夫節。3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の弟子で,3代竹本実太夫をへて嘉永(かえい)7年4代を襲名。元の職業から馬方弥太夫とよばれた。「義経千本桜」の「椎の木」を得意とした。慶応4年3月19日死去。55歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。通称は小川屋米吉。

竹本弥太夫(6代) たけもと-やだゆう

1866-1924 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
慶応2年10月12日生まれ。義太夫節。5代の弟子で,前名は長子太夫。大正2年6代を襲名,世話物の第一人者と称された。大正13年6月6日死去。59歳。大坂出身。本名は竹内亀松。

竹本弥太夫(初代) たけもと-やだゆう

?-1820 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。はじめ有規堂千賀太夫の門下で竹本千代太夫を名のる。一時初代豊竹岡太夫にもまなび豊竹磯太夫を称したが,竹本弥太夫と改名した。文政3年5月10日死去。通称は紙屋弥太夫。

竹本弥太夫(3代) たけもと-やだゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代の門人で,前名は磯太夫とも浜太夫ともいう。天保(てんぽう)12年(1841)阿波(あわ)(徳島県)の芝居にうつった。

竹本弥太夫(2代) たけもと-やだゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代の門人で,文政3年(1820)2代を襲名した。前名は豊竹磯太夫。通称は平野屋長七。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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