竹本 弥太夫(6代目)
タケモト ヤダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 別名
- 前名=竹本 長子太夫
- 生年月日
- 慶応2年
- 出身地
- 大阪
- 経歴
- 5代目竹本弥太夫の門弟で、世話物の語り口は当代随一、大正期の名人といわれた。没後弥太夫名は中絶。
- 没年月日
- 大正13年 6月6日 (1924年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
竹本 弥太夫(6代目)
タケモト ヤダユウ
江戸時代末期〜大正期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 慶応2年(1866年)
- 没年
- 大正13(1924)年6月6日
- 出身地
- 大阪
- 別名
- 前名=竹本 長子太夫
- 経歴
- 5代目竹本弥太夫の門弟で、世話物の語り口は当代随一、大正期の名人といわれた。没後弥太夫名は中絶。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹本弥太夫(5代) たけもと-やだゆう
1837-1906 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)8年4月4日生まれ。義太夫節。3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の弟子で,明治4年文楽座にはいる。27年彦六座が再興され稲荷座となった際,その櫓下(やぐらした)となった。堀江の大師匠といわれ,「大晏寺堤(だいあんじづつみ)」「橋本」などを得意とした。明治39年10月30日死去。70歳。大坂出身。日記に「竹本弥太夫日記」。
竹本弥太夫(4代) たけもと-やだゆう
1814-1868 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化11年生まれ。義太夫節。3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の弟子で,3代竹本実太夫をへて嘉永(かえい)7年4代を襲名。元の職業から馬方弥太夫とよばれた。「義経千本桜」の「椎の木」を得意とした。慶応4年3月19日死去。55歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。通称は小川屋米吉。
竹本弥太夫(6代) たけもと-やだゆう
1866-1924 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
慶応2年10月12日生まれ。義太夫節。5代の弟子で,前名は長子太夫。大正2年6代を襲名,世話物の第一人者と称された。大正13年6月6日死去。59歳。大坂出身。本名は竹内亀松。
竹本弥太夫(初代) たけもと-やだゆう
?-1820 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。はじめ有規堂千賀太夫の門下で竹本千代太夫を名のる。一時初代豊竹岡太夫にもまなび豊竹磯太夫を称したが,竹本弥太夫と改名した。文政3年5月10日死去。通称は紙屋弥太夫。
竹本弥太夫(3代) たけもと-やだゆう
?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代の門人で,前名は磯太夫とも浜太夫ともいう。天保(てんぽう)12年(1841)阿波(あわ)(徳島県)の芝居にうつった。
竹本弥太夫(2代) たけもと-やだゆう
?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代の門人で,文政3年(1820)2代を襲名した。前名は豊竹磯太夫。通称は平野屋長七。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例