竹本春太夫(読み)たけもとはるたゆう[ごせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本春太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本春太夫(5世)
たけもとはるたゆう[ごせい]

[生]文化5 (1808)
[没]1877
義太夫節太夫。堺の鍛冶屋の出身。大坂に出て風呂屋の三助などをしながら 4世竹本氏太夫に学び,竹本さの太夫を名のる。天保5(1834)年に江戸に下って好評を博すが,同 13年に堺に戻り,4世竹本春太夫の養子となり,翌 14年堺新地芝居で 5世竹本春太夫を相続した。明治5(1872)年1月に文楽の芝居が大阪西区松島に移り,文楽座の看板をあげると紋下(櫓下)となり,天性の美音とおおどかな芸風で明治の人形浄瑠璃界に君臨した。最大の功績は,門下から竹本摂津大掾,3世竹本大隅太夫という近代を代表する二人の太夫が輩出したところにある。(→浄瑠璃

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本春太夫」の解説

竹本 春太夫(7代目)
タケモト ハルタユウ


職業
人形浄瑠璃太夫

別名
前名=鶴沢 叶吉,竹本 叶太夫(初代)

生年月日
明治6年 4月5日

出生地
香川県 丸亀

経歴
明治19年2代目鶴沢叶の門人となり叶吉と名乗る。のち25年2代目竹本越路太夫門下で初代竹本叶太夫と改名。昭和2年退座。16年復座して7代目春太夫を襲名。また、大正12年に刊行された太夫・三味線方肖像略歴を集めた「此君帳」の編者でもある。

没年月日
昭和18年 1月11日 (1943年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「竹本春太夫」の解説

竹本春太夫(初代)

没年:天明4.3.19(1784.5.8)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節の太夫。泉州堺(堺市)の人で,通称粉屋与兵衛。竹本大和掾門弟。初めは豊竹姓で,延享1(1744)年に人形浄瑠璃豊竹座出座。寛延年間(1748~51)には竹本座に転じる。江戸に下ったこともある。宝暦2(1752)年,帰坂して竹本姓で竹本座に出勤。明和8(1771)年の「妹背山婦女庭訓」の「妹山の段」の掛合,「金殿の段」で大当たり。安永7(1778)年に引退。師の芸風を受け継ぎ,「いつきいてもはんなりとした蘭奢待」(『闇の礫』)といわれ,美声で色の語り分けや運びに特色を示し,上記の「妹山の段」と「金殿の段」に今もその芸風が伝わる。

(高木浩志)


竹本春太夫(5代)

没年:明治10.7.25(1877)
生年:文化5(1808)
幕末明治期の義太夫節の太夫。本名長原弥三郎。泉州堺の生まれ。4代目竹本氏太夫の門弟。初名さの太夫,のち文字太夫。天保13(1842)年4代目春太夫の養子となって5代目を相続,「摂州合邦辻」の「合邦庵室の段」で披露した。明治5(1872)年文楽座が博労町から松島へ移転したとき,4代目紋下となる。天性の美音で硬軟強弱を自由自在に語り,古流浄瑠璃最後の名人といわれた。門下から巣立ったのが,明治浄瑠璃界の双璧とうたわれた竹本摂津大掾と竹本大隅太夫。<参考文献>郭外「竹本春太夫」(『小天地』1903年1月号)

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本春太夫」の解説

竹本春太夫(5代) たけもと-はるたゆう

1808-1877 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化5年生まれ。義太夫節。4代竹本氏太夫の弟子で,さの太夫を名のり,天保(てんぽう)5年江戸にいき,文字太夫と改名。13年大坂にもどって4代春太夫の養子となり,14年5代を襲名した。明治5年文楽座の櫓下(やぐらした)となった。明治10年2月15日死去。70歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。本名は長原弥三郎。

竹本春太夫(初代) たけもと-はるたゆう

?-1784 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。竹本大和掾(やまとのじょう)の弟子で,はじめ豊竹春太夫の名で豊竹座に出演。江戸で修業し,宝暦2年から竹本座に出演,竹本に改姓した。美声で優美な語り口は春太夫風といわれた。天明4年3月19日死去。和泉(いずみ)(大阪府)出身。通称は粉屋与兵衛。

竹本春太夫(4代) たけもと-はるたゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。3代の弟子で,文政のころ4代を襲名したが,病弱で一時3代竹本咲太夫門下の八十太夫に春太夫の名をかしあたえる。文政13年(1830)八十太夫が没したため,ふたたび春太夫を名のった。通称は又兵衛。

竹本春太夫(3代) たけもと-はるたゆう

?-? 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代豊竹岡太夫の門人で,豊竹町太夫を名のって豊竹座に初出演。寛政2年(1790)3代を襲名した。かたりながら鼻をなでる癖があり,「鼠の春太夫」とあだ名された。

竹本春太夫(2代) たけもと-はるたゆう

?-1790 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代の弟子で,前名は律太夫。天明2年(1782)2代を襲名した。寛政2年4月29日死去。

竹本春太夫(6代) たけもと-はるたゆう

竹本摂津大掾(たけもと-せっつのだいじょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の竹本春太夫の言及

【竹本摂津大掾】より

…5歳のとき大工の棟梁二見伊八の養子となり,亀次郎と名乗る。11歳から3世鶴沢清七について三味線を習い,1858年(安政5),5世竹本春太夫に入門して竹本南部太夫となる。60年(万延1)には3世野沢吉兵衛と江戸へ下り,2世竹本越路太夫を相続。…

※「竹本春太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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