瀧安寺(読み)ろうあんじ

日本歴史地名大系 「瀧安寺」の解説

瀧安寺
ろうあんじ

[現在地名]箕面市箕面

箕面山の南端部、箕面川の左岸にある。古くは箕面寺と称し、今も通称として残る。現在は単立寺院であるが、古くは天台宗寺門派園城おんじよう(現大津市)末寺。箕面山吉祥院と号する。本尊弁財天で、江の島えのしま(現神奈川県藤沢市)竹生島ちくぶしま(現滋賀県東浅井郡)厳島いつくしま(現広島県佐伯郡)の弁財天と並ぶ日本四ヵ所弁財天の一つとして知られる。

〔霊場箕面山〕

瀧安寺のある箕面山は、北摂山地から流れる箕面川の渓谷一帯の山地で、谷の入口から約二キロの所に名勝箕面滝があり、滝の信仰に由来する霊山として古くから知られていた。箕面山の史料上の初見は、「扶桑略記」応和二年(九六二)四月条で、比叡山の内供奉十禅師千観が蓑尾みのお山観音院において「法華三宗相対抄」をつくったとある記事であるが、同書永観二年(九八四)八月二七日条の千観死没の個所には故老の伝えとして、千観内供が箕面山観音寺に蟄居し「法華三宗相対釈文」を撰集していた頃、天下旱魃し、公家勅使を千観の草庵に遣わして降雨を祈らせたことがみえる。このとき千観は勅使とともに「箕面之滝」に登り、滝壺の上の樹上香炉を捧げ持って祈ると、その煙が山に満ち、滝壺の中から黒雲が空に昇り、帰途ついに雨が降ったという。また同じ頃「摂津国豊島箕面滝下つのくにてしまみのおのたきもと」の大松樹の下に寄居していた修行僧が、八月一五日夜に樹上の人が音楽に迎えられて往生するのを目撃した話が「日本往生極楽記」(第二三話)などに収められており、他方、比叡山横川よかわの住僧永慶が比叡山を去り箕面滝に籠って法華経を誦持し、龍樹菩薩の示現によって志を遂げたという説話も、「法華験記」巻中(第五三話)にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「瀧安寺」の意味・わかりやすい解説

瀧安寺
りゅうあんじ

大阪府箕面(みのお)市箕面にある天台宗系の寺。箕面山吉祥(きちじょう)院と号し、「ろうあんじ」とも「みのおじ」とも称する。本尊は弁財天。650年(白雉1)役小角(えんのおづぬ)の開創と伝えられる。修験道(しゅげんどう)の霊場で、平安中期に千観が請雨(しょうう)法を修したことで知られ、隠岐(おき)に配流された後醍醐(ごだいご)天皇の帰還を護良(もりよし)親王が祈願させ、そのとき境内の三滝景勝によって瀧安寺に改めたという。1595年(文禄4)兵火で焼失したが1603年(慶長8)再興され、1656年(明暦2)に後水尾(ごみずのお)天皇の御願で弁財天堂が建てられ、竹生島(ちくぶしま)、江島(えのしま)、巌島(いつくしま)とともに四所弁天といわれる。如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)(国重要文化財)はじめ什物(じゅうもつ)が多い。寺域は幽寂な渓流と楓樹(ふうじゅ)が多く、紅葉の名所で、近くに箕面ノ滝がある。

[塩入良道]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android