粟谷菊生(読み)アワヤ キクオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「粟谷菊生」の解説

粟谷 菊生
アワヤ キクオ


職業
能楽師(喜多流シテ方)

肩書
日本能楽会会長 重要無形文化財保持者(能シテ方)〔平成8年〕,日本芸術院会員〔平成15年〕

生年月日
大正11年 10月31日

出生地
東京市 京橋区新富町(東京都 中央区)

経歴
父は喜多流シテ方・粟谷益二郎で5人きょうだい(4男1女)の二男。大正14年「鞍馬天狗」の花見の稚児役で初舞台昭和3年「猩々」で初シテ。成城中学に進むが(同級生に丹波哲郎がいた)、退学し、9年喜多実の内弟子となった。18年喜多六平太師事。20年千葉県佐倉の第五七連隊に入隊したが、肺浸潤のためすぐに除隊。29年第1回能楽渡欧団の一員としてベネチア国際演劇祭に参加。30年粟谷兄弟能(56年より粟谷能の会)を創設。40年より日本能楽会会員。平成8年人間国宝、15年日本芸術院会員。重厚な技芸と幅広い芸域に定評があり、「安宅」「景清」「杜若」「伯母捨(姨捨)」などを得意とした。17年日本能楽会会長に就任。兄の新太郎、弟の辰三、幸雄も能楽師となった。

所属団体
日本能楽会

受賞
日本芸術院賞(平11年度)〔平成12年〕 旭日双光章〔平成7年〕 観世寿夫記念法政大学能楽賞(第13回)〔平成3年〕

没年月日
平成18年 10月11日 (2006年)

家族
父=粟谷 益二郎(能楽師),兄=粟谷 新太郎(能楽師),弟=粟谷 辰三(能楽師),粟谷 幸雄(能楽師),長男=粟谷 明生(能楽師)

親族
従妹=ペギー葉山(歌手),甥=粟谷 能夫(喜多流シテ方)

伝記
景清―粟谷菊生の能舞台 鳥居 明雄,吉越 研 編(発行元 ぺりかん社 ’06発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「粟谷菊生」の意味・わかりやすい解説

粟谷菊生
あわやきくお

[生]1922.10.31. 東京
[没]2006.10.11. 東京,港
喜多流シテ方の能楽師。粟谷益二郎の二男。父益二郎,14世喜多六平太喜多実友枝喜久夫に師事。1925年『鞍馬天狗』の花見で初舞台。1928年『猩々』で初シテ。1953年『道成寺』,1991年『卒都婆小町』,1994年『伯母捨(姨捨)』を初演。1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2000年日本芸術院賞。2003年日本芸術院会員に就任。粟谷能の会を主宰。長男に粟谷明生,兄に粟谷新太郎,弟に粟谷辰三,粟谷幸雄がいる。著書に『粟谷菊生能語り』(2007,明生と共著)がある。(→

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟谷菊生」の解説

粟谷菊生 あわや-きくお

1922-2006 昭和-平成時代の能楽師シテ方。
大正11年10月31日生まれ。粟谷益二郎の次男。喜多流。父の手ほどきをうけ,6歳で初舞台。喜多流14代喜多六平太(きた-ろっぺいた),友枝喜久夫らにも師事する。芸風は鋭さと重厚さをあわせもつ。平成8年人間国宝。12年芸術院賞。15年芸術院会員。兄の新太郎,弟の辰三,幸雄も能楽師。平成18年10月11日死去。83歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「粟谷菊生」の解説

粟谷 菊生 (あわや きくお)

生年月日:1922年10月31日
昭和時代;平成時代の能楽師(喜多流シテ方)
2006年没

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