古代律令制下における中央政府の一機構で,図書寮(ずしよりよう)に付属する紙すき所。紙屋ともいう。紙すきの技術者である造紙手(《養老令》では4人)と,その下で働く紙戸(紙すきのために人を出す戸で,山背国の50戸。品部の一種)の戸ごとに1人出される丁によって構成されていた。紙屋院では1日に120~200枚ほどの紙をすき,毎年2万枚を内蔵寮(くらりよう)に納めることが《延喜式》に定められている。平安時代には野宮(ののみや)の東(嵯峨野)にあったことが《西宮記》に記されており,その近くを流れる天神川は今なお紙屋川ともいわれている。紙屋院ですかれた紙は紙屋紙と呼ばれ,上質で,写経や宣旨・綸旨の紙,あるいは宮廷での使用等にあてられたようで,《源氏物語》などの文学作品にも見られる。また,故紙をすき直して造る宿紙(しゆくし)は紙屋院ですかれていたことから,宿紙の生産がふえるにしたがい,宿紙を紙屋紙と呼ぶようになっていったようである。
執筆者:白石 ひろ子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…図書寮紙屋院の後身として蔵人所を本所に室町期に成立した座。特権として京中における紙漉業の独占権と課役免除を保持した。…
…頭,助,大允,少允,大属,少属各1人の事務官と,写書手20人,装潢(そうこう)手4人,造紙手4人,造筆手10人,造墨手4人の技術指導者を擁し,紙すきに従事する紙戸50戸が付属する。大同年間(806‐810)に別所として紙屋院(かみやいん)と称する紙すき場が置かれたが,律令制の衰退とともに,紙屋院での紙すきのみは,図書允を世襲した栂井(とがのい)家と図書属を世襲した小佐治家が紙漉座を結成して行ったが,それも地方製紙業の発達によりすたれた。(2)近代官職制度において,1884年8月,宮内省中に置かれた部局。…
※「紙屋院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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