室町時代の武将。小山泰朝(おやまやすとも)の子で、下総(しもうさ)結城満広(みつひろ)の養子。中務大輔(なかつかさのたいふ)、従(じゅ)五位下。1416年(応永23)ごろ家督継承、祖父基光(もとみつ)が死去した30年(永享2)以降結城家当主としての活動を開始。前代から敵対していた上杉氏との対立を深め、38年永享(えいきょう)の乱では足利持氏(あしかがもちうじ)を支援。40年持氏の遺児安王(やすおう)丸、春王(はるおう)丸が挙兵するとこれを結城城に迎え、関東諸家(宇都宮(うつのみや)、小山氏の一族や那須(なす)、岩松氏など)を糾合して幕府・上杉軍に抗戦(結城合戦)したが、翌41年(嘉吉1)4月16日敗れて子の持朝(もちとも)らと自殺。
[市村高男]
『『結城市史 第1、第4巻』(1977、80・結城市)』
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(市村高男)
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1402~41.4.16
室町中期の下総国の武将。1440年(永享12)3月永享の乱で敗死した鎌倉公方足利持氏(もちうじ)の遺児安王・春王が挙兵すると,氏朝は本拠下総国結城城(現,茨城県結城市)に迎え,下野・常陸などの反幕府・反上杉氏勢力の協力をえた。しかし上杉憲実・同清方らの幕府軍に包囲され,41年(嘉吉元)4月結城城は落城,氏朝は自殺(結城合戦)。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…翌39年の持氏の自害で基氏以来80年存続した鎌倉府が滅亡し,関東の動乱もようやく終息するかにみえたが,40年永享の乱の余波ともいうべき結城合戦が勃発する。持氏の遺児春王,安王は持氏余党に擁立されて挙兵し,結城氏朝の拠る結城城に迎えられた。総大将上杉清方の幕府軍には宇都宮等綱,小山持政らが参陣し,籠城軍には宇都宮伊予守,小山大膳大夫,同子息九郎,同舎弟生源寺らがいた。…
…1440年(永享12)3月,下総の結城氏朝が鎌倉公方足利持氏の遺子春王丸・安王丸を奉じて幕府に抗した戦い。持氏は永享の乱に敗れ前年2月に鎌倉永安寺で自殺したが,この持氏の死後も従来から続いている東国の混乱は鎮静化しなかった。…
※「結城氏朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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