縁切り(読み)えんきり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

縁切り
えんきり

浄瑠璃,または歌舞伎の一局面,またこれに伴う演出様式。恋愛関係にある女が,一身を犠牲にして,男の出世など,やむをえない事情のため心にもなく相手をはずかしめ,縁を切る。女の本心を悟らぬ男が激怒して女を殺し,そのあとで真実を知る殺し場がこれに続くのが定型。男に愛想をつかす女のせりふがこの場の中心となるため,「愛想づかし」ともいう。その萌芽は近松門左衛門世話浄瑠璃心中天の網島』にみられるが,この局面が固定して一つのジャンルとなったのは江戸時代中期以降で,並木五瓶 (ごへい) の『五大力恋緘 (ごだいりきこいのふうじめ) 』が典型的作品。そののち,歌舞伎の世話物の重要な局面となった。『伊勢音頭恋寝刃 (いせおんどこいのねたば) 』『心謎解色糸 (こころのなぞとけたいろいと) 』 (通称お祭佐七』) 『宿無団七時雨傘』『籠釣瓶花街酔醒 (かごつるべさとのえいざめ) 』などがある。ことに夏芝居に多い。

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大辞林 第三版の解説

えんきり【縁切り】

( 名 ) スル
夫婦・親子・兄弟・主従などの関係を断って、他人になること。絶縁。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

縁切り
えんきり

主として夫婦など男女について、まれに親子兄弟姉妹について、それぞれ関係の断絶をいう。逆は縁結び、縁つなぎ。江戸時代には、夫婦の結び付きは、当人の意思に関係なく宿縁によるものと考えられ、せっかく結ばれた縁は容易には断ちがたいとされた。さらに男尊女卑の思想も根強く、武家社会はもとより庶民社会でも、夫や舅姑(きゅうこ)の不法に対して妻側から抗議し離婚を申し入れることは認められなかった。離婚は夫側から一方的に申し渡される習わしで、「三下り半(みくだりはん)」の離縁状がそれをよく表していた。しかし妻側からの非常手段がないわけではなく、神職や山伏(やまぶし)の家、あるいは尼寺(あまでら)に逃げ込み、それらの人々の尽力で離婚を迫ることがあった。この種のものでは相模(さがみ)(神奈川県)鎌倉の東慶寺(とうけいじ)と上野(こうずけ)(群馬県)新田郡(にったごおり)の満徳寺(まんとくじ)が、俗に縁切寺、駆込寺(かけこみでら)として有名であった。
 一般にはこんな方法もとれず、ひたすら縁切りを神仏に祈るだけというありさまで、祈れば効き目があるとされる縁切地蔵、縁切稲荷(いなり)、縁切薬師、縁切榎(えのき)などが各地に伝えられてきた。京都・清水寺(きよみずでら)にはもと縁切厠(かわや)なるものがあり、そこに入って祈れば効験があるとされた。東京都板橋区下板橋にあった縁切榎(実はケヤキ)は江戸時代から知られ、樹皮をはいで細かく刻んでひそかに相手に飲ませたり、男女背中合わせの絵馬(えま)を供えて祈ったりすれば祈願が成就するといわれた。それだけに良縁を望む人々には嫌われ、嫁入りにはその前を避けて通った。せっかくの良縁も不縁になってしまうとして、それに近づくことを忌む石、木、橋、坂、神仏なども少なくなく、縁切石、縁切橋、縁切地蔵、別れ松などの名がついていた。東京都新宿区の淀(よど)橋は別に「姿見ず橋」ともよばれ、不吉の橋として婚礼に新婦は渡らなかったという。このような禁忌を伴うほうが信仰としては古態であり、それは逆の縁結び祈願にも通じてくる。そこで、縁切り祈願も、個人の自由を束縛された遊女など特定の女性による行為が注目され、それが広まった新しい習俗ではないかと考える者もある。[竹田 旦]

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