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織田純一郎 おだ じゅんいちろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

織田純一郎 おだ-じゅんいちろう

1851-1919 明治時代のジャーナリスト,翻訳家。
嘉永(かえい)4年5月22日生まれ。イギリスに留学。帰国後の明治11年翻訳したリットンの「欧州奇事花柳春話」がベストセラーとなる。18年大阪朝日新聞の主筆。のち陸奥宗光の「寸鉄」,板垣退助らの「社会新報」の主筆をつとめた。大正8年2月3日死去。69歳。京都出身。本姓は大塚。旧姓は丹羽。著作に「通俗日本民権真論」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

百科事典マイペディアの解説

織田純一郎【おだじゅんいちろう】

翻訳家,新聞記者。京都生れ。本姓若松。旧姓丹羽。1878年,E.G.リットンの小説の翻訳《花柳春話》の成功で文名を確立,1879年―1880年,リットンの《ポンペイ最後の日》を翻訳して《寄想春史》を刊行。

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朝日日本歴史人物事典の解説

織田純一郎

没年:大正8.2.3(1919)
生年:嘉永4.5.22(1851.6.21)
明治時代の翻訳家,ジャーナリスト。一説に父は京都所司代与力の大塚信敬,一条家の臣若松氏,三条家の臣丹羽氏の嗣を経たのち,明治12(1879)年より織田姓,東京の昌平学校,土佐の致道館に遊学後,官費で明治3年英国エジンバラに留学。7年再び渡英,10年帰国。E.G.E.リットンの《Ernest Maltravers》の翻訳『花柳春話』(1879)は大好評を博した。以後ロンドンやパリの紹介,西洋の民権思想の紹介書などを刊行。明治18年から『朝日新聞』,陸奥宗光の『寸鉄』などに拠り,言論界で活躍,英国の外交官で日本史研究家のサンソムは,彼あたりから初めてまともな翻訳が現れたと評価する。晩年は不遇のうちに京都で死去。<参考文献>柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』,G.B.サンソム『西欧世界と日本』

(加納孝代)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

おだじゅんいちろう【織田純一郎】

1851~1919) 翻訳家・評論家。京都生まれ。「花柳春話」を訳刊、「日本民権真論」などで政治評論を展開。「大阪朝日新聞」「寸鉄」主筆として活躍。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

織田純一郎
おだじゅんいちろう
(1851―1919)

翻訳家、批評家。京都で若松備前守永福(びぜんのかみながとみ)の次男として生まれた。幼名甲(幸)之助。諱(いみな)は正義。幼くして丹羽正庸(にわまさつね)の養子となり、純一郎と改名。1869年(明治2)昌平黌(しょうへいこう)に入るがまもなく高知の致遠館に転じ洋学を修めた。70年アメリカ経由でイギリスに渡りエジンバラ大学に学び、74年7月一時帰国し、三条公恭と再度渡英、法律を修めた。77年冬帰国、79年曽祖母(そうそぼ)方の織田姓を名のる。78年4月リットンの小説による『欧州奇事花柳春話』で翻訳文学に新紀元を開く。『通俗日本民権真論』(1879)など外国体験に根ざす政治評論にも筆を振るう。[富田 仁]
『柳田泉著『明治初期翻訳文学の研究』(1959・春秋社)』

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