美奈宜神社(読み)みなぎじんじや

日本歴史地名大系 「美奈宜神社」の解説

美奈宜神社
みなぎじんじや

[現在地名]甘木市荷原 寺内

荷原いないばるの西部、佐田さだ川の右岸栗尾くりお山の麓に位置する。天照大神住吉大神・春日大神の三座を祀り、神功皇后武内宿禰を配祀する。旧県社。社伝によると、喰那尾山(栗尾山)に布陣して羽白熊鷲を討取った神功皇后は、麓の三奈木みなぎ(佐田川)のほとり「池辺」に神籬を立てて神を招いて戦勝を報告、のち仁徳天皇勅願で神社を勧請したのが草創という。古くは喰那尾大明神とも号したが、のち栗尾大明神と称され、寛文年中(一六六一―七三)三奈木神社と改めたという。寛永一六年(一六三九)に三奈木黒田家の初代一成が社殿を建立、元文年中(一七三六―四一)同家六代黒田一誠が神門を造進、石鳥居は明暦年中(一六五五―五八)に産徒が寄進したという(続風土記拾遺)


美奈宜神社
みなぎじんじや

延喜式神名帳の筑前国下座しもつあさくら郡に「美奈宜ミナギノ神社三座 並名神大」とみえる神社。「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条により、従五位下から従五位上に叙されたことが知られるほかは史料を欠く。そのため、寛文年間(一六六一―七三)頃から現甘木市の二社が当社にあたると主張するようになり、それに伴ってさまざまな考証が行われている。一社は現林田はやしだ蜷城ひなしろに所在する美奈宜神社で、林田村神社・林田神社・蜷城大明神・蜷城神社(「続風土記」「続風土記附録」「筑前国神社記」など)などともよばれる。


美奈宜神社
みなぎじんじや

[現在地名]甘木市林田 蜷城

林田はやしだの東部に位置する。大己貴命・素戔嗚尊・事代主命を祀り、旧県社。社伝によると神功皇后が朝鮮に出兵した際、大己貴命・素戔嗚尊・事代主命の三神冥助によって勝利したことから、帰還後、皇后が当地にこの三神を祀る社を建立したのが草創という。古くは境内方九町を有する大社(上畑村に総門の跡があるという)、「蜷城大明神」と号し、秋月氏支配の時代には神領三〇町を寄せられていたという(「続風土記」「筑前国神社記」など)。江戸時代には林田神社とよばれ、林田村および近隣三〇余村の産土神として尊崇を集め、九月二一日の祭礼には上畑うえのはた村まで神輿が渡御。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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