美浦(読み)みほ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美浦」の意味・わかりやすい解説

美浦(村)
みほ

茨城県南部稲敷郡(いなしきぐん)にある村。1955年(昭和30)木原(きはら)、安中(あんじゅう)の2村と舟島(ふなしま)村の一部が合併して霞村となり、同日美浦村改称霞ヶ浦(かすみがうら)南岸に接し、稲敷台地東端部と湖岸低地からなり、気候はほぼ年中温和である。国道125号が走り、JR常磐(じょうばん)線土浦駅からバスが通じる。古代の信太(しだ)郷で、中世には信太荘(しょう)が置かれ、近世天領旗本領に分属された。米、野菜などの農業と霞ヶ浦の内水面漁業が中心である。1978年に日本中央競馬会美浦トレーニング・センターが置かれ、競走馬2000余頭がいる。貝塚遺跡が多く、陸平貝塚(おかだいらかいづか)は1879年(明治12)日本人の手になる初発掘で有名で、1998年(平成10)国の史跡に指定された。面積66.61平方キロメートル、人口1万4602(2020)。

[櫻井明俊]


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改訂新版 世界大百科事典 「美浦」の意味・わかりやすい解説

美浦[村] (みほ)

茨城県南部,稲敷郡の村。人口1万7299(2010)。霞ヶ浦南岸にあり,筑波稲敷台地の末端を占める。江戸時代には霞ヶ浦を利用した水運業が発達し,米など農産物集散地としてにぎわった。霞ヶ浦の水上交通や内水面漁業は昭和30年代ころまで重要な役割を果たしたが,その後水質汚染などによって衰えた。霞ヶ浦沿岸や余郷入(よごういり)干拓地に広がる水田を中心とする純農村であるが,1978年中央競馬会の美浦トレーニングセンターが開設され,1975-78年に約5000人の人口流入があった。工場誘致も進められ,電子工場,農機工場が操業している。1879年に日本人の手で初めて発掘された陸平(おかだいら)貝塚がある。
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百科事典マイペディア 「美浦」の意味・わかりやすい解説

美浦[村]【みほ】

茨城県南部,稲敷郡の村。東と北を霞ヶ浦に面し,国道125号が通じる。霞ヶ浦沿いに水田が広がり米作が行われ,台地では畜産,霞ヶ浦では内水面漁業も行われる。東部の陸平(おかだいら)貝塚は,1879年に発掘された大規模な縄文時代の遺跡で国の史跡に指定されており,近くに文化財研究所もある。また南部には,約66万坪の広大な敷地を有する日本中央競馬会の美浦トレーニングセンターが1978年に開設,〈ミホ〉を冠した名馬をはじめ,多くの競走馬を育成していることでも知られている。66.61km2。1万7299人(2010)。

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