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群馬事件 ぐんまじけん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

群馬事件
ぐんまじけん

1884年5月群馬県下の自由党湯浅理兵,日比遜,清水永三郎らの起した反政府暴動。不況下の農民,博徒,猟師らを誘って5月初め,高崎で予定された中山道鉄道開通式で天皇随行の顕官を殺害する計画を立てたが,これは未然に防止された。

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デジタル大辞泉の解説

ぐんま‐じけん【群馬事件】

自由民権運動の一事件。明治17年(1884)群馬県高崎駅開通式に自由党員らが政府高官襲撃を企てたが果たせず、高利貸し・警察署を襲撃したが、食糧が尽きて解散。首謀者は逮捕された。

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百科事典マイペディアの解説

群馬事件【ぐんまじけん】

自由民権運動の激化事件の一つ。1884年上毛自由党員清水永三郎,日比遜(ゆずる),湯浅理兵(りひょう)らが農村で演説会を開き,困窮農民に学校廃止,減租請願を説き,5月には妙義山麓に集まった農民数十名が決起,生産会社岡部為作(ためさく)家を襲撃した事件。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぐんまじけん【群馬事件】

1884年5月,群馬県西南部に起こった自由党員と負債農民の蜂起事件。従来この事件は関戸覚蔵の《東陲(とうすい)民権史》(1903)と板垣退助《自由党史》によって喧伝されたが,現在ではその記述に潤色が多いことが批判され,さらに両書は高崎線開通式を機として政府高官,高崎鎮台を襲撃するという上毛自由党の計画をあげ,その関連上に群馬事件を置くにもかかわらず,この前史はまだ確認されていない。ともかく明治10年代,群馬県にも15~16の民権政社が結成され,関東でももっとも注目されていた。

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大辞林 第三版の解説

ぐんまじけん【群馬事件】

1884年(明治17)、群馬の自由党員らが高崎駅開通式に参列する政府高官らを襲い、政府打倒を企てた事件。式が延期されたため、警察署や高利貸しらを襲撃したが鎮圧され、主謀者は逮捕された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

群馬事件
ぐんまじけん

自由民権運動の激化事件。1884年(明治17)5月、松方財政下の不況に苦しむ群馬県妙義山麓(みょうぎさんろく)の農村を舞台に、自由党急進派と負債農民によって起こされた。指導者は、自由党の大井憲太郎(けんたろう)・宮部襄(みやべのぼる)グループに属する上毛(じょうもう)自由党のメンバーで、在地のオルグ層の一ノ宮光明院(こうみょういん)住職小林安兵衛(日比遜(ひびそん))、三浦桃之助、北甘楽(きたかんら)郡内匠(たくみ)村戸長湯浅理兵(りひょう)、多胡(たご)郡片山村農民野中弥八(やはち)らであった。事件の発端は、5月1日上野―高崎間の中山道(なかせんどう)鉄道開通式の挙行に際し、天皇はじめ政府高官が同乗する列車を本庄(ほんじょう)駅で襲撃し、政府転覆を謀ろうと計画したことにある。しかし、開通式の延期、再延期によって計画は変更を余儀なくされ、5月14日を期して妙義山麓陣場ヶ原(じんばがはら)に集結し、富岡、松井田、前橋の3警察署を襲撃し、さらに東京鎮台高崎分営を乗っ取ることとなった。
 計画は武州を含む西上州規模で進められた。まず埼玉県児玉(こだま)郡蛭川(ひるかわ)村上野文平宅を密会所として計画が練られ、武州秩父(ちちぶ)と上州南甘楽郡には三浦をオルグとして派遣し、碓氷(うすい)郡は博徒の親分山田平十郎(へいじゅうろう)(城之助(じょうのすけ))にまとめさせ、小林、湯浅、野中らは北甘楽郡菅原(すがわら)村、諸戸(もろと)村に入り、農民の組織化に努めた。しかし雨天のため、翌5月15日に延期となった集会当日は、「僅(わず)カ近傍ノ人数三拾四、五名妙義(山)下ニ集リ」(予審終結決定原本)とあるように、菅原・諸戸両村中心の農民部隊が結集したにすぎなかった。その結果、指導部の湯浅らは富岡警察署襲撃を提案した。結集した負債に苦しむ農民部隊は、北甘楽郡一帯に金融網をもち、彼らの約半数近くが貸借関係をもつ丹生(にゅう)生産会社(銀行類似会社)頭取である岡部為作(ためさく)宅が富岡への道筋にあたるので、まずそこを襲って金穀を奪うことで同意し、16日午前2時ごろ同宅を焼き払った。しかし、これ以上に行動を進めることなく事件は終息した。その結果、前橋重罪裁判所で、兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)罪などにより、小林、湯浅はそれぞれ有期徒刑13、12年、以下禁錮・懲役10名、罰金刑など二十数名が処罰された。[岩根承成]
『藤林伸治編『ドキュメント群馬事件』(1979・現代史出版会) ▽岩根承成著「負債農民騒擾と激化事件」(『近代日本の統合と抵抗1』所収・1982・日本評論社)』

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