自由民権運動の激化事件。1884年(明治17)5月、松方財政下の不況に苦しむ群馬県妙義山麓(みょうぎさんろく)の農村を舞台に、自由党急進派と負債農民によって起こされた。指導者は、自由党の大井憲太郎(けんたろう)・宮部襄(みやべのぼる)グループに属する上毛(じょうもう)自由党のメンバーで、在地のオルグ層の一ノ宮光明院(こうみょういん)住職小林安兵衛(日比遜(ひびそん))、三浦桃之助、北甘楽(きたかんら)郡内匠(たくみ)村戸長湯浅理兵(りひょう)、多胡(たご)郡片山村農民野中弥八(やはち)らであった。事件の発端は、5月1日上野―高崎間の中山道(なかせんどう)鉄道開通式の挙行に際し、天皇はじめ政府高官が同乗する列車を本庄(ほんじょう)駅で襲撃し、政府転覆を謀ろうと計画したことにある。しかし、開通式の延期、再延期によって計画は変更を余儀なくされ、5月14日を期して妙義山麓陣場ヶ原(じんばがはら)に集結し、富岡、松井田、前橋の3警察署を襲撃し、さらに東京鎮台高崎分営を乗っ取ることとなった。
計画は武州を含む西上州規模で進められた。まず埼玉県児玉(こだま)郡蛭川(ひるかわ)村上野文平宅を密会所として計画が練られ、武州秩父(ちちぶ)と上州南甘楽郡には三浦をオルグとして派遣し、碓氷(うすい)郡は博徒の親分山田平十郎(へいじゅうろう)(城之助(じょうのすけ))にまとめさせ、小林、湯浅、野中らは北甘楽郡菅原(すがわら)村、諸戸(もろと)村に入り、農民の組織化に努めた。しかし雨天のため、翌5月15日に延期となった集会当日は、「僅(わず)カ近傍ノ人数三拾四、五名妙義(山)下ニ集リ」(予審終結決定原本)とあるように、菅原・諸戸両村中心の農民部隊が結集したにすぎなかった。その結果、指導部の湯浅らは富岡警察署襲撃を提案した。結集した負債に苦しむ農民部隊は、北甘楽郡一帯に金融網をもち、彼らの約半数近くが貸借関係をもつ丹生(にゅう)生産会社(銀行類似会社)頭取である岡部為作(ためさく)宅が富岡への道筋にあたるので、まずそこを襲って金穀を奪うことで同意し、16日午前2時ごろ同宅を焼き払った。しかし、これ以上に行動を進めることなく事件は終息した。その結果、前橋重罪裁判所で、兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)罪などにより、小林、湯浅はそれぞれ有期徒刑13、12年、以下禁錮・懲役10名、罰金刑など二十数名が処罰された。
[岩根承成]
『藤林伸治編『ドキュメント群馬事件』(1979・現代史出版会)』▽『岩根承成著「負債農民騒擾と激化事件」(『近代日本の統合と抵抗1』所収・1982・日本評論社)』
1884年5月,群馬県西南部に起こった自由党員と負債農民の蜂起事件。従来この事件は関戸覚蔵の《東陲(とうすい)民権史》(1903)と板垣退助の《自由党史》によって喧伝されたが,現在ではその記述に潤色が多いことが批判され,さらに両書は高崎線開通式を機として政府高官,高崎鎮台を襲撃するという上毛自由党の計画をあげ,その関連上に群馬事件を置くにもかかわらず,この前史はまだ確認されていない。ともかく明治10年代,群馬県にも15~16の民権政社が結成され,関東でももっとも注目されていた。おりから1883年の世界恐慌,松方財政のデフレ政策という悪条件下に群馬の農村は養蚕・生糸生産を生計の主軸とするだけに負債農民の騒擾(そうじよう)事件が83年の春,秋に頻発した。84年になり上毛自由党中,高崎の有信社系と思われる小林安兵衛(日比教宣,日比遜ともいう),湯浅理兵らは4月下旬から北甘楽郡の農村で演説会を開いて学校廃止,減租請願を説き農民の負債問題に接近していった。しかし農民の動員組織を作るわけでもなく,5月には農民を加えて2回の強盗事件を起こし,同月15日妙義山麓の陣馬ヶ原に運動会開催の檄文を数十枚配布した。当日小林,湯浅らは現地に集会した農民に圧制政府打倒,高崎鎮台分営と,警察および北甘楽郡上丹生村の生産会社岡部為作家の襲撃を説き,その数十名をひきいて菅原村に結集した農民と合流し,16日午前2時に岡部家を襲撃して居宅と土蔵を焼いた。ここで農民は解散し,事件は終わったのである。集合した農民を《東陲民権史》《自由党史》は数千名と述べ大事件にしたてたが,判決言渡書,行政文書は数十名,窮民四,五十名と言い,この事件の被告は強盗事件関係者をふくめて46名にすぎない。したがって1883-84年の全国的農民騒擾事件としては小規模なものであるが,いわゆる自由党激化事件の系列のなかで自由党員が数名の農民活動分子と結んで負債農民を動員した武装蜂起事件として,歴史的な意味をもっている。
→自由民権
執筆者:井上 幸治
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1884年(明治17)5月,急進派自由党党員が,群馬県甘楽(かんら)周辺の負債農民を糾合し,政府転覆を企図した事件。自由党の湯浅理兵(りひょう)・日比遜(ゆずる)・井上桃之助らは,高崎線開通式に参列する政府要人を暗殺する計画だったが,開通式の延期で中止され,妙義山山麓の陣馬ケ原に農民を集結。救民の名のもとに高利貸の家を打ち壊し,ついで松井田警察署を襲撃し,高崎鎮台分営に迫ろうとしたが意気阻喪し解散。首謀者は強盗・凶徒嘯集(しょうしゅう)罪などで処断された。
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