龍安寺(読み)りょうあんじ

精選版 日本国語大辞典 「龍安寺」の意味・読み・例文・類語

りょうあん‐じ【龍安寺】

  1. 京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は大雲山。宝徳二年(一四五〇細川勝元が義天玄承を請じて開創、玄承の師日峰宗舜を開山とする。応仁の乱で焼失し長享二年(一四八八細川政元が再興。方丈前庭は相阿彌作と伝えられ、虎の子渡しと呼ばれる石組と白砂のみの石庭で、史跡・特別名勝に指定されている。

りゅうあん‐じ【龍安寺】

  1. りょうあんじ(龍安寺)

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日本歴史地名大系 「龍安寺」の解説

龍安寺
りようあんじ

[現在地名]右京区龍安寺御陵ノ下町

しゆ山の南麓、仁和寺北東にある。大雲山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。円融天皇の御願寺で四円しえん寺の一つとされた円融えんゆう寺の跡地にあたり、現在寺内にある鏡容きようよう池はその園池といわれ、庭園は国指定名勝。円融寺が衰退した後、左大臣藤原実能が山荘を営み、そのなかに徳大とくだい(得大)寺を建立した。宝徳二年(一四五〇)六月二日細川勝元が寺領を寄進し(龍安寺文書)、妙心寺の義天玄詔を請じ、妙心寺塔頭として創建された。徳大寺公有の袖判のある長禄二年(一四五八)二月一〇日の徳大寺公有袖判寄進状(山城名勝志)に「龍安寺敷地并山事、東限新堀、西限勝法院領、南限池堤、北限主山嶺松在之巽限橋、坤限山尾、乾限大谷、艮限谷、悉皆絵図有之 右雖家領、依細川殿所望、令附龍安寺之上者、永代不違変之儀之状如件」とあり、勝元は徳大寺公有より徳大寺の敷地と山を譲り受け、そこに龍安寺を移している。


龍安寺
りようあんじ

[現在地名]美濃加茂市伊深町 寺洞

大洞おおぼら川の谷から東へ入る洞の奥にあり、正眼しようげん寺の北裏にあたる。碧雲山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。正眼寺の四隣寺の一つ。享保一五年(一七三〇)村内卜雲ぼくうん寺保有畑より出土した梵鐘に、「大日本国美濃州武義郡揖深荘碧雲山永安禅寺鴻鐘 至徳元年甲子季秋朔丙申晦日乙丑鋳之 住持比丘瑞延 大檀那源朝臣義行 大工葛木友宗」とある。「美濃加茂市史」によれば、源義行は守護土岐氏四代康行で、瑞延は法海派大林善育の法系を引くものとしている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「龍安寺」の意味・わかりやすい解説

龍安寺
りょうあんじ

京都市右京区御陵(ごりょう)ノ下町(したまち)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。四円寺の一つ円融寺の跡地にあたる。大雲山(だいうんざん)と号し、俗に石寺(いしでら)、鴛鴦(おしどり)寺という。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1450年(宝徳2)細川勝元(かつもと)は自領と交換して徳大寺家の山荘を入手し、この地に一寺を建立、妙心寺第5世義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて住持とし、義天はその師日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勅請(ちょくしょう)の開山とした。応仁(おうにん)の乱には西軍山名氏の軍の兵火にあい焼失、1488年(長享2)細川政元(まさもと)の招請を受け徳芳禅傑(とくほうぜんけつ)が住持となり、仏殿を造営して中興の祖となった。一時は塔頭(たっちゅう)21を数える大寺であったが、1797年(寛政9)火災にあい、以後衰微した。方丈庭園(特別名勝・史跡)は、細川勝元が幕府同朋衆(どうぼうしゅう)の相阿弥(そうあみ)につくらせた枯山水式石庭で、俗に「虎の子渡し」とよばれる。一面の白砂を敷き、大小15個の石のほか一木一草もない、簡浄で象徴的な石庭として古来名高く、豊臣(とよとみ)秀吉などもその風趣を愛し、たびたび歌会を催したりした。方丈は塔頭西源院(さいげんいん)から移したもの。そのほか総門、中門、唐門、開山堂、弁天堂などの建造物がある。本堂天井の蟠竜(ばんりゅう)および迦陵頻伽(かりょうびんが)の画は兆殿司(ちょうでんす)の筆として知られる。寺宝の西源院本『太平記』12冊は国重要文化財。境内にある鏡容(きょうよう)池はオシドリの名所として有名。龍安寺は1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。

[平井俊榮]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「龍安寺」の意味・わかりやすい解説

龍安寺
りょうあんじ

京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の禅寺。宝徳2(1450)年に細川勝元が義天玄承に帰依して創建。その師日峰宗舜を開山とする。応仁の乱で戦火を被ったが,勝元の子細川政元が復興したとされる。大寺であったが,寛政9(1797)年に焼け,多くの塔頭も廃合され,現規模に再建。方丈の前庭は築地塀(ついじべい)で囲まれた白砂の平庭に,15個の岩石だけを 5群に分けて配置したもので,一木一草も用いない枯山水の石庭として有名。石庭の構成については江戸時代から「虎の子渡し」の別名がある。作庭年代,作者について定説はないが,当初から今日のような石と砂の庭であったとは思われない。

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デジタル大辞泉プラス 「龍安寺」の解説

龍安(りょうあん)寺

京都府京都市右京区にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は大雲山。1450年、細川勝元が徳大寺家の別荘に建立した寺が起源。枯山水の石庭が有名。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。

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