羲和 (ぎか)
Xī hé
中国古代神話の中の太陽神。《山海経(せんがいきよう)》大荒南経によれば,東南海のかなたに羲和の国があって,そこでは羲和という女性が生まれたばかりの太陽に産湯(うぶゆ)を使わせている。羲和は帝俊の妻で,10個の太陽を産んだのだという。すなわち中国古代人の観念では,天には10個の太陽があって,甲乙丙丁の十干の日付けに従い毎日1個ずつ太陽が昇り,10日で一巡する。その太陽を産んだのが羲和である。《山海経》に付けた郭璞(かくはく)の注によれば,羲和は天地創造のはじめから存在し,日月をつかさどってきたという。宇宙全体を統べる絶対神のおもかげを見ることができよう。太陽の馬車の御者を羲和と呼んだりするのは,のちの職能神化によるものである。《尚書(書経)》尭典篇ではさらに歴史人物化され,尭帝の下に暦をつかさどる家として羲氏と和氏とがあり,両家の羲仲と羲叔,和仲と和叔の4人が,それぞれ東南西北の大地の果てにあって太陽の運行と春夏秋冬の季節を調整するとされている。
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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羲和
ぎわ
中国古代の神話に登場する神。羲和に関する神話には、大まかにいって二つの流れがある。その一つは『楚辞(そじ)』や『淮南子(えなんじ)』などに描き出されている、天空をわたる太陽の運行を馬車の走るさまになぞらえ、その馬車を操縦する「太陽の御者」としての羲和である。もう一つは『山海経(せんがいきょう)』にみえる、中国東南の海のはるかかなたにある羲和の国に住むという女神羲和である。女神は俊帝(しゅんてい)と結婚して10個の太陽を生み、毎朝子供であるそれらの太陽を甘淵(かんえん)というみぎわで水浴させる「太陽の母」であるとされている。この二つの系統の神話の相互関係は不明であるが、羲和が太陽そのものの神格化ではないにせよ、太陽と関係の深い神であったことは確かである。ところが儒家の経典である『書経』では、羲和は堯帝(ぎょうてい)によって中国の東西南北に派遣された羲仲(ぎちゅう)、羲叔(ぎしゅく)、和仲、和叔という4人の役人に変化してしまう。しかし彼らがともに天文に関することをつかさどり、なかでも東西に派遣された羲仲と和仲が太陽の出入りにあたって先導を務めたという点に、羲和が太陽と関係のある存在であったおもかげをとどめている。
[桐本東太]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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普及版 字通
「羲和」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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羲和【ぎか】
中国神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。
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羲和
ぎわ
Xi-he
「ぎか」とも読む。中国,古代の伝説上の人物で太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる。のちに東南西北のそれぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ぎちゅう) ,羲叔 (ぎしゅく) ,和仲,和叔の4人兄弟の総称であるという説も生れた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の羲和の言及
【舜】より
…中国の神話にみえる太陽神。《山海経(せんがいきよう)》に〈帝俊〉としてみえ,その妻羲和(ぎか)は十日を生み,常羲(じようぎ)(嫦娥)は十二月を生んだ。またその妻娥皇(がこう)は三身の国を生んだが姚(よう)姓で,四鳥を使者とした。…
【太陽】より
…つまり,太陽は1年間の運行で,その馬も戦車も使いつぶしてしまうと考えられていたのである。中国の《淮南子(えなんじ)》天文訓によると,羲和(ぎか)という女が6頭の駿馬のひく馬車を御し,この馬車に太陽を乗せて天空を運行するのだという。また太陽の運行は,月の運行としばしば関連づけられる。…
※「羲和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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