改訂新版 世界大百科事典 「職人組合」の意味・わかりやすい解説
職人組合 (しょくにんくみあい)
ヨーロッパにおいて手工業の職人Geselleが結成した組合。中世の都市内に成立した手工業職人Handwerkerのギルド(手工業ギルドはとくにツンフトと呼ばれる)においては,親方,職人,徒弟の3区分ができあがっていたが,14世紀初めには技術面では親方と同じ能力をもちながら親方株が少なかったために身分上は親方になれない職人段階の者の数が著しくふえていた。これらの職人は独身で親方の家に同居しており,したがって市民権もなく賃金や食事その他の点で親方に対して不満をもつ者が多かった。職人のなかには遍歴の旅に出て新しい職場を求める者もいたが,他方で,教会に職人専用の祭壇をもつ宗教的結合であり同時に相互扶助のための兄弟団fraternitasを結成したり,共同で親方たちに要求を出す団体をつくる動きがでていた。
しかし,いわゆる職人組合Gesellenverband,Gesellengild(フランスではコンパニョナージュと呼ばれる)はこれらの先行する団体と違って賃金闘争という具体的な目的をもっていた。こうした傾向は,ドイツでは1352年ころから顕著になっていった。すでに58年にはアウクスブルクの市参事会は賃金引上げのために誓約を結んだ織工に対して介入している。このころには職人たちは,ボイコットによって労働市場に影響力を行使するというまったく新しい方法をとりはじめていた。職人たちは親方の職人採用に注文をつけ,遍歴してくる職人たちにはどの親方のもとに行くかをも指導していた。こうして職人組合は自律的な組織として徐々にその姿を現してくる。
1365年にフライブルクの織布工たちの訴えを扱った市参事会の記録によると,職人たちは組合設置の目的として次の3点をかかげていた。(1)遍歴の旅の途中病気になったり死亡したばあいなどの相互扶助,死者の埋葬と死者ミサをあげるための基金を集めること。病気で働けない職人を養う資金を集めること。(2)すべての織工は貧しい職人のために集める資金の割当金を支払わねばならないこと。(3)賃上げ要求の際に他の職人と異なった行動をとる者に対する罰則などである。
14世紀前半には親方と職人の間で争いがしばしば起こっていたが,職人たちはまだツンフト内部で別個の組合(ギルド)をつくるまでにはいたっていなかった。1348年から1421年にかけて全ヨーロッパにペストなどの流行病が広がったときには,人口減少による労働力不足から親方と職人の関係にひとつの転機が訪れた。ライン川流域ではこの期間に職人による運動が17回も起こっている。まず賃金に関して親方と職人の利害が対立し,ついで労働時間の短縮が問題となり,実際に労働時間が短縮されざるをえなくなり,その結果職人相互の連絡,会合の機会がふえることになった。さらに職人の遍歴がより活発に行われるようになり,このことも職人相互の連絡網を強化するのに役だった。
このようにして成立した職人の組合はやがてツンフトから離れて独自の職人ギルドを形成することになる。職人組合が独自の居酒屋を経営する問題や,病気や死亡した職人ならびに異国から遍歴してくる職人の世話をめぐる問題が,ツンフトから職人組合が独立していくきっかけとなっていった。職人組合がこのように他国の職人に開かれた組織をつくっていたことは,今日の西欧の労働組合が企業別組合ではなく産業別組合である歴史的背景となっているのである。
執筆者:阿部 謹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報