能代(市)(読み)のしろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「能代(市)」の意味・わかりやすい解説

能代(市)
のしろ

秋田県北西部、日本海に注ぐ米代川(よねしろがわ)の河口に発達した都市。『日本書紀』に渟代(ぬしろ)、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に野代湊(みなと)とあり、以後野代と記されてきたが、1694年(元禄7)と1704年(宝永1)に地震があり、野代は「野に代わる」で、天災地変を招くとされ、「能(よ)く代わる」意味の能代に改めたという。1940年(昭和15)能代港町と榊(さかき)、東雲(しののめ)の2村が合併して市制施行、能代市となり、1942年扇淵(おうぎふち)村、1955年(昭和30)檜山(ひやま)町と鶴形(つるがた)、浅内(あさない)、常盤(ときわ)の3村を編入。2006年(平成18)二ツ井町を合併。JR奥羽本線と五能線(ごのうせん)、国道7号と101号が分岐する。秋田自動車道が通じ、能代南、能代東、二ツ井白神の各インターチェンジがある。市の中央を米代川が西流して日本海に注ぎ、北から常盤川と藤琴川、南から檜山川と内川が合流し、流域肥沃(ひよく)な耕地が開ける。海岸は落合沼、浅内沼などの小沼群のある砂丘が続く。市街地は能代港を中心として米代川の左岸に展開する。古代の港の位置は不明であるが、『続日本紀』には771年(宝亀2)渤海(ぼっかい)国の使節が漂着した記録がある。安土(あづち)桃山時代は安東(あんどう)(秋田)実季(さねすえ)の支配下、近世には秋田藩佐竹氏の奉行(ぶぎょう)所が置かれた。米代川上流の秋田スギ、銅・亜鉛などの鉱産物、米などの農産物は米代川舟運により能代港へ運ばれ、さらに西廻(にしまわり)海運上方(かみがた)方面へ積み出された。上方からは太物(ふともの)、小間物(こまもの)、海産物が搬入された。江戸時代から広大な森林を背景に木材業が盛んであったが、1907年(明治40)には秋田木材会社などの製材所が設立された。現在、製材のほか、合板、建具、銘木、家具などを産出する。県立大学木材高度加工研究所が設置されている。能代港は近年外材輸入港としても整備され、1979年には1万5000トン、2001年に4万トン岸壁が完成した。海岸地帯には木材工業団地、火力発電所がある。農業は米作のほか、能代ネギ、ゴボウ、長十郎ナシなどの栽培、乳牛飼育などが行われる。

 国の史跡に中世の檜山安東氏城館跡、縄文晩期の土器を出土する杉沢台遺跡、選択無形民俗文化財に大みそかに若者たちが仮面をつけ家々を訪れて祝福を与える浅内地区のナゴメハギの行事がある。8月初旬の七夕(たなばた)行事も有名である。東部二ツ井町地区にある「きみまち阪」はサクラ、ツツジ、紅葉の名所で、県立自然公園になっている。面積426.95平方キロメートル、人口4万9968(2020)。

[宮崎禮次郎]

『『能代市史稿 1~7』(1956~1964・能代市)』『『能代市史』6巻(1995~2004・能代市)』


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