漆塗法の一種。木地に黄または赤で色付けし,透明な透漆(すきうるし)を上塗りして木目の美しさをみせる技法。一説に南北朝時代,和泉国堺の漆工春慶の創始と伝える。しかし正倉院に伝来する《赤漆文欟木厨子》は,木地を蘇芳(すおう)で染めて透漆を塗った今日の紅春慶塗の技法をみせ,すでに奈良時代から行われている。近世になり各地で各種の春慶塗が行われたが,現在は岐阜の飛驒春慶が主で,他に秋田の能代春慶(江戸初期,飛驒の工人山打三九郎が開いたという),茨城の粟野春慶,長野の木曾春慶などがわずかにその伝統を守っている。飛驒春慶は江戸初期,高山城主金森可重の子である茶人金森宗和が塗師成田三左衛門に盆類をつくらせたのに始まるといわれる。木地はへぎ目を生かしたもの,変形鉋(かんな)で文様を彫るものがあり,それを淡黄色に着色し透明漆を塗る黄春慶が主である。茶道宗和流と関係深く,茶器類が多い。
執筆者:鈴木 規夫
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漆器の素地(きじ)の表面を黄または赤に着色したうえ、透漆(すきうるし)で上塗りする漆工技法の一種。木地の木目模様を、漆膜を透かしてよく見せることが目的である。その起源は奈良時代の赤漆(せきしつ)で、これは木地を蘇芳(すおう)で染めた上に透漆を塗る技法であった。遺品に正倉院の赤漆文欟木厨子(あやつきずし)があげられる。春慶塗という名称は、応安(おうあん)年間(1368~75)に堺(さかい)(大阪府)の漆工春慶が考案した漆塗り技法によるもので、この技法が堺春慶として全国各地に伝わり広まった。そのため、土地の名を冠した名称があり、飛騨(ひだ)春慶(岐阜県高山市)、能代(のしろ)春慶(秋田県)、粟野(あわの)春慶(茨城県)、木曽(きそ)春慶(長野県木曽町)、伊勢(いせ)春慶(三重県)があげられ、堺春慶、吉野春慶、日光春慶などは今日では名のみ残している。
春慶塗は産地によってそれぞれ特色のある微妙な色調の相違がみられ、黄と赤の2系統に大別される。黄春慶(石黄、支子(くちなし)、黄蘗(きはだ)、オーラミン、チオフラビンで着色)と赤春慶(鉄丹、朱、洋紅、スカーレット、フクシンで着色)であり、伝統的技法では自然染料を、近代的製品では化学染料を用いている。
[郷家忠臣]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
漆塗の手法の一つ。着色した木地に透漆(すきうるし)を塗って木目の美しさを表すのが特色。南北朝期に和泉国堺の漆工春慶が考案したといわれる。木地を染める顔料に梔子(くちなし)や雌黄(しおう)を用いた黄春慶と,弁柄(べんがら)などを用いた紅春慶とに大別される。江戸時代以降全国各地に広まり,飛騨・能代(のしろ)・木曾・粟野(茨城県)・日光・吉野などで春慶塗が行われている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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