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臥雲辰致 ガウンタッチ

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デジタル大辞泉の解説

がうん‐たっち〔グワウン‐〕【臥雲辰致】

[1842~1900]明治時代の発明家・紡績技術者。信濃の人。日本初の綿糸紡績機、臥雲紡績機(ガラ紡機)を製作。明治20年代から30年代に掛けて広く使われた。名は「たつむね」「ときむね」とも。

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百科事典マイペディアの解説

臥雲辰致【がうんたっち】

発明家。信濃の足袋(たび)底問屋に生まれる。26歳で臥雲山孤峰院の住持となったが,廃仏運動(廃仏毀釈)にあって30歳のとき還俗,以後紡機改良に熱中し,1873年構造の簡単な綿紡機(いわゆるガラ紡)を完成,1877年さらに改良して第1回内国勧業博覧会に出品して1位(鳳紋賞牌)を受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

臥雲辰致 がうん-ときむね

1842-1900 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)13年8月15日生まれ。臥雲山孤峰院の住持となるが,明治4年還俗(げんぞく)。以後,綿糸紡績機の発明にとりくみ,6年ガラ紡機とよばれる紡績機を発明。10年連綿社を創設し,水車を動力源とする紡績業を開業した。明治33年6月29日死去。59歳。信濃(しなの)(長野県)出身。本姓は横山。名は「たっち」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

臥雲辰致

没年:明治33.6.29(1900)
生年:天保13.8.15(1842.9.19)
明治期の紡織機械の発明家。名は「たっち」とも。信濃国(長野県)安曇郡の生まれで,実家は足袋製造業。得度して臥雲山の寺の住職となるが,まもなく廃寺,還俗。手紡績の機械を改良して,水車を動力源にした機械紡績機を明治9(1876)年に発明,ガラ紡績機,臥雲式紡績機などと呼ばれた。「ガラ」というのは音に由来する。落綿やくずなどを原材料にして,あまり強度,繊度,撚りのよくない太手の糸を紡ぐものであった。用途は,木綿の敷物や実家の家業の足袋裏地などであって三河(愛知県)に定着して明治20年代にはかなり普及した。辰致は連綿社を創設して普及を図ったが,やがて西洋式の機械紡績に圧倒されてすたれていく。

(村上陽一郎)

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世界大百科事典 第2版の解説

がうんたっち【臥雲辰致】

1842‐1900(天保13‐明治33)
ガラ紡機(ガラ紡)の発明者。信濃国安曇郡田多井村(現,長野県安曇郡堀金村)の足袋底(たびぞこ)織業横山儀十郎の次男に生まれる。20歳で僧門に入り,26歳のとき臥雲山孤峰院の住持となった。まもなく同院が廃寺となったために還俗し,少年時代に関心を持った綿糸生産の改良に着手した。1873年(明治6)には日本で最初の太糸用ガラ紡機を発明,76年にはこれを改良した細糸用ガラ紡機を完成した。同紡機は,洋式技術の模倣によるものではなくて,在来技術の改良の結果生み出された手回し式の紡機で,第1回内国勧業博覧会(1877)に出品されて世間の耳目を集め,最高の賞である鳳紋賞牌を授与されたが,82年には,この発明の功に報いて藍綬褒章が授与された。

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大辞林 第三版の解説

がうんたっち【臥雲辰致】

1842~1900) 〔名は「たつむね」とも〕 紡績技術者。長野県生まれ。1876年(明治9)ガラ紡機を発明。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

臥雲辰致
がうんたっち
(1842―1900)

紡績技術者、ガラ紡機の発明者。信濃(しなの)国(長野県)安曇(あずみ)郡田多井村(現、安曇野(あづみの)市)の横山儀十郎の次男で、幼名を栄弥(えいや)といった。20歳で僧侶(そうりょ)となり、法名を智恵(ちけい)といい、26歳で臥雲山孤峰院住持となった。1871年(明治4)廃仏棄釈(きしゃく)の嵐(あらし)にあって還俗(げんぞく)し、臥雲辰致と名のった。足袋(たび)底を織る家に生まれ、子供のころからの夢であった足袋底用綿糸紡機発明に向かい、失敗に懲りず献身、1873年、粗糸(あらいと)しか製造できなかったが、機構が簡単な綿糸紡績機を完成した。ガラガラと音を出すのでガラ紡とよばれた。1877年に内国勧業博覧会に出品し、最高の鳳紋賞牌(ほうもんしょうはい)を受賞したが、模造品の続出となり、ガラ紡全盛期を呈したにもかかわらず、発明者は貧窮の底にあった。彼の例をあげて専売特許制度設定を説く勧業官僚もいて、改良機が1889年ようやく特許になった。洋式紡績の発展後も落綿(らくめん)利用の和式紡績として併存した。蚕網(さんもう)織機、計算器、測量器なども考案している。[石山 洋]
『村瀬正章著『臥雲辰致』(1965/新装版・1989・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の臥雲辰致の言及

【ガラ紡】より

…ガラ紡績の略。明治初期に信州の元僧侶の臥雲辰致(がうんたつち)(1842‐1900)が,イギリスから輸入された機械紡績に対抗して,手紡績道具を改良して1876年に作り出した紡績機械(臥雲式紡績機,ガラ紡機)による紡績法。綿作地帯の三河地方で動力源を水車として行った水車紡で,ガラガラという音がするのがその名の由来である。…

【特許】より

…その後,85年までの間,特許制度は存在しなかった。この間に有名な臥雲辰致(がうんたつち)(1842‐1900)のガラ紡事件がおきた。臥雲はガラ紡という優秀な紡績機を発明し,第1回内国勧業博覧会で1位を得,ガラ紡は全国に普及した。…

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