自由の剥奪(はくだつ)を内容とする刑罰。現行法上、懲役、禁錮、拘留の3種類がある。生命を奪う死刑、身体を傷つける身体刑、名誉を奪う名誉刑、金銭を奪う金銭刑などと区別される。古代・中世ごろまでは、上層階級の者に対する拘禁刑(禁錮刑)を除けば、労働力不足を補うための労働力搾取が内容であったが、16世紀後半、産業革命によってようやく資本主義が台頭してくると、労働による犯罪者の改善を目的とする自由刑が登場し(アムステルダム懲治場)、近代的自由刑の先駆けをなした。日本でも、律令(りつりょう)制度以来明治まで徒刑という一種の労働刑があったが、1790年、松平定信(さだのぶ)によってつくられた石川島人足寄場(よせば)では、労働や心学講話などによる犯罪者の改善が試みられた。しかし、労働による改善は時代や地域が限定され、そのまま順調な発展を遂げたわけではなかった。自由刑は、どの自由を剥奪するかによってその内容に違いが出てくるが、現在の自由刑は、自由な社会生活の場からの強制的な隔離(拘禁)とその期間を利用した社会復帰を目ざす改善・更生(処遇)を二つの重要な要素としている。拘禁の問題については、拘禁に伴う自由制約の範囲との関係で、受刑者の法的地位が論ぜられる。人道主義的観点からの監獄改良運動の進展と、20世紀に入ってからの人権重視の風潮は、受刑者の自由の制約範囲の縮限を促した。また、自由以外の権利の侵犯にわたることのないようにも説かれている(自由刑の純化)。処遇の考え方は、19世紀後半に本格化した人間行動科学の発達に負うところが大きく、隔離による社会の防衛(無害化)とあわせ、犯罪者の改善による社会の防衛を意図している。現在、自由刑問題は処遇の問題を中心に動いており、拘禁は処遇のための一条件になりつつあるといっても過言ではなく、懲役における定役も処遇の一環と考えられている。処遇中心の考え方では、懲役と禁錮の区別は無意味なものとなり(単一刑論)、十分な処遇を施すことのできない短期自由刑は改善効果よりも弊害が大きいとされる。また、自由な社会生活への訓練にはできるだけ一般社会に近い環境での処遇が必要であるという理念が、伝統的な閉鎖施設にかわる開放施設を登場させ、継続的拘禁の不必要を説いて、週末拘禁、帰休制などの諸制度を採用させた。しかし、犯罪者のなかには、改善・更生のための特別な処遇より、むしろ違法行為を行ったことを感銘的に認識させること、また、劣悪な社会環境から一定期間切り離すことを必要とする者もおり、拘禁も軽視できない問題だとされる。
[須々木主一]
自由を奪う刑罰の総称であり,日本では,懲役,禁錮,拘留の3種がある。いずれも,監獄拘置ないし拘留場拘置といった,施設拘禁を内容とするため,拘禁刑とも呼ばれる。自由を制限する刑罰としては,特定の場所への立入りを許さない追放刑や,国内外の過疎地や植民地等への流刑もあったが,これらは近代国家の刑罰として自由刑が確立するとともに廃れた。この拘禁刑としての自由刑は,懲治場や廃船収容など,それに先立つ行刑の前史を有しつつ,18世紀から19世紀にかけて啓蒙君主らによる刑法典の中で中心的な刑罰として規定された。その際,死刑に代わるものとして,単なる施設拘禁では不十分とされ,また前時代からの犯罪者使役の伝統もあってか,強制労働をも刑罰内容とし,それのないものは政治犯等に対する名誉拘禁的な例外とされた。こうして受刑者労働力の搾取や,逆に苦しめこらしめるためだけの〈空役〉も実施されたが,やがて19世紀末からの人道主義や法治国思想に支えられて自由刑の刑罰内容が自由制限に限られるべきことが強調され,施設内生活条件の改善や,刑務作業にも賃金を支給すべきことなどを内容とする自由刑純化の主張がなされた。また犯人改善思想との関係でも,短期自由刑の回避論や開放処遇・社会内処遇の強調,単一自由刑論が主張され,一部実現をみている国もある(〈行刑〉〈禁錮〉等の項参照)。現在では,このような,強制作業や施設拘禁を必ずしも要素としない自由刑の一般化と,逆に,少数の者の隔離を担う自由刑制度の二極化が進行しつつある。
執筆者:吉岡 一男
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…日本の改正刑法草案は死刑を存置することにしている。自由刑をめぐっては,以前から問題とされてきた短期自由刑の取扱いのほか,懲役と禁錮の区別を廃止すべきではないかとする自由刑の単一化などが問題とされている。さらには,常習的累犯者に対してどのような取扱いを行うべきかも問題となる。…
…身体刑は,たとえば手や足を切る刑,笞刑(ちけい)(身体を笞(むち)で打つ刑)などであり,日本でも笞刑は明治初年まで存在した。 日本近代以後の刑罰を歴史的にみると,そこには,身体刑に代えて自由刑・財産刑を刑罰制度の中心とし,その自由刑をも単純化していくという一般的な刑罰史の流れに沿っている。まず,明治維新直後の1868年(明治1)に制定された仮刑律は,基本的に律令制度にならって,笞,徒(ず),流(る),死の4種類の刑罰を認め,次いで70年に制定された新律綱領も,笞,杖(じよう),徒,流,死の5刑をおいていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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