日本歴史地名大系 「般若寺跡」の解説
般若寺跡
はんにやじあと
般若寺跡
はんにやじあと
日向山九品院般若寺と称した。般若寺村の村名は当寺に由来するという。保安年中(一一二〇―二四)に土中より出土した観音像を本尊として安置したことに始まる性空開基の天台宗寺院であったが、のち真言宗に改められたという(三国名勝図会)。保安四年一〇月二八日の草部季貞施入状写(真幸院記)に「般若寺」とみえ、東は大河(川内川)、南は大路、西は高野山、北は大河(白川か)を限る地が草部氏から施入されていた。般若寺観音堂棟札写(同書)には、観応二年(一三五一)四月一九日に観音堂棟上の事始めがあり、同年一一月二八日完成したとある。年月日未詳の日吉山王由緒書上(同書)によると、般若寺の守護神として日吉山王(現日枝神社)が貞和―観応(一三四五―五二)頃観音堂と同時に建立されたという。
般若寺跡
はんにやじあと
般若寺跡
はんにやじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報