コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

良岑安世 よしみねのやすよ

7件 の用語解説(良岑安世の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

良岑安世
よしみねのやすよ

[生]延暦4(785).京都
[没]天長7(830).7.6. 京都
平安時代初期の廷臣。桓武天皇の皇子。延暦 21 (802) 年良岑朝臣の姓を賜わった。官職は大納言に進んだ。漢詩をよくし,『経国集』編集の一人。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

よしみね‐の‐やすよ【良岑安世】

[785~830]平安初期の学者・漢詩人。桓武天皇の皇子。遍昭の父。蔵人頭・右近衛大将などを歴任。藤原冬嗣らと「日本後紀」を撰修、「内裏式」を共撰した。また、滋野貞主(しげののさだぬし)らと「経国集」を編纂(へんさん)。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

良岑安世 よしみねの-やすよ

785-830 平安時代前期の公卿(くぎょう),漢詩人。
延暦(えんりゃく)4年生まれ。桓武(かんむ)天皇の皇子。母は百済永継(くだらの-えいけい)。遍昭(へんじよう)の父。平城(へいぜい)・嵯峨(さが)・淳和(じゅんな)の3朝につかえ,弘仁(こうにん)14年正三位となり,天長5年大納言。「日本後紀」,漢詩集「経国(けいこく)集」などの編集にくわわる。詩は「文華秀麗(ぶんかしゅうれい)集」「凌雲(りょううん)集」などにみえる。天長7年7月6日死去。46歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

良岑安世

没年:天長7.7.6(830.7.29)
生年:延暦4(785)
桓武天皇と女孺百済永継の子。母については永継の娘とも,飛鳥井奈止丸の娘とも,あるいは両者は同一人物ともいい,諸説あり。延暦21(802)年12月,良峯(良岑)の姓を賜り右京の住人として登録された(815年左京に移る)。良峯(京都市西京区)は母の出身地に由来する姓名かもしれない。のち左衛門督,左大弁などを歴任,天長5(828)年中納言から大納言に昇進した。幼いころから鷹犬を好み,伎芸万端,書や音楽にも秀でていたという。『日本後紀』『内裏式』などの編纂に携わり,『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』などに詩を収めている。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

よしみねのやすよ【良岑安世】

785‐830(延暦4‐天長7)
平安初期の賜姓皇族。桓武天皇の子で,802年(延暦21)良岑朝臣を賜る。809年(大同4)従五位下左近衛少将,左少弁ののち,811年(弘仁2)蔵人頭,左衛門佐を経,814年従四位下,左衛門督となる。816年右大弁,参議に任じられ,左大弁ののち,821年従三位,中納言となり,翌年春宮大夫,823年正三位,右近衛大将,828年(天長5)大納言となる。《内裏式》《経国集》を編集し,《日本後紀》の撰修にも参加した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

よしみねのやすよ【良岑安世】

785~830) 桓武天皇の皇子。遍昭の父。右近衛大将、のち大納言。「日本後紀」の撰修に参加、また「経国集」の撰者の一人。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

良岑安世
よしみねのやすよ
(785―830)

平安前期の漢詩人。桓武(かんむ)天皇の皇子、802年(延暦21)良岑朝臣(あそん)を賜り臣籍に下った。伎芸(ぎげい)に堪能で音楽をよく解した。雅楽頭(うたのかみ)、丹後(たんご)、但馬介(たじまのすけ)、蔵人頭(くろうどのとう)などを経て、814年(弘仁5)従(じゅ)四位下に至る。819年藤原冬嗣(ふゆつぐ)・緒嗣(おつぐ)らとともに『日本後紀(こうき)』を撰進(せんしん)した。821年、従三位中納言(ちゅうなごん)、この年冬嗣らとともに『内裏式(だいりしき)』を撰(えら)んだ。827年(天長4)には滋野貞主(しげののさだぬし)らと漢詩文集『経国(けいこく)集』を編纂(へんさん)、翌年大納言(だいなごん)に任じた。同7年に薨(こう)じ、正二位を贈られた。作品は『凌雲集(りょううんしゅう)』以下の勅撰漢詩集に13首とられている。その詩には中国六朝(りくちょう)詩とともに初唐詩の影響がみられ、五言詩が多く絶句体に特徴がうかがえる。[金原 理]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の良岑安世の言及

【経国集】より

…書名は,〈文章は経国の大業,不朽の盛事〉という魏の文帝の〈典論・論文〉による。淳和天皇の勅を奉じ,良岑安世(よしみねのやすよ)が滋野(しげの)貞主,南淵弘貞,菅原清公ら数名とともに協議して編集したもの。体裁分類など《文選》を学ぶ。…

【青海波】より

…《青海波》の袍は青海波の地紋に千鳥模様を刺繡した麴塵袍(きくじんのほう)といい,舞楽装束のうちでもっとも華麗なものである。輪台,青海はともに中国の西域地方の地名とされ,《輪台》は唐時代に中国で作られ日本に伝えられたとする説や,承和年間(834‐848)に勅命によって,大納言良岑安世(よしみねのやすよ)が舞を作り,小野篁(おののたかむら)が詠(えい)(現在,詞のみ残っているが,発声法が伝わっていない)を作ったという説もある。一方,《青海波》は,音楽を太田麿あるいは大戸清上(おおとのきよがみ),舞を良岑安世が作ったとされる。…

※「良岑安世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

良岑安世の関連キーワード平氏平安神宮神武天皇祭西蓮寺男系と女系百済永慶百済永継百済教法百済昌成神王

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone