日本大百科全書(ニッポニカ) 「芸術記号論」の意味・わかりやすい解説
芸術記号論
げいじゅつきごうろん
semiotic theory of art
芸術作品を記号あるいは記号集合体としてとらえ、その構造と機能の観点から解明しようとする学問。歴史的には三つの流れが考えられる。第一は、カッシーラーの象徴形式の哲学を継承発展させたランガーの「芸術意味論」。第二は、パースに始まりモリスに結実する「プラグマティズムの芸術論」で、これらはいずれもアメリカを中心に1940~1950年代に展開された。第三は、ソシュール的構造言語学に理論モデルを求めた流派で、ロシア・フォルマリズム(1910~1920年代)に始まり、チェコ構造主義(1930~1940年代)、フランス構造主義(1960年代)を経て「現代記号論」に至る。記号論を、記号体系の諸要素とその結合法則を論じる統辞論、記号とその指示内容を論じる意味論、記号とその使用者の関係を扱う実用論の三つの水準からなる理論とすれば、ランガーは「意味論」、モリスは「実用論」、第三の流派は「統辞論」に焦点をあてて芸術記号論を展開したといえる。
[村山康男]
芸術記号論の三つの流れ
ランガーによれば、言語記号も芸術記号も、人間に固有の抽象作用を介した間接的指示の記号(シンボル)である。しかし、形式面では言語が語彙(ごい)と統辞規則をもつのに対し、芸術作品はこうした基本単位と結合規則をもたず、単一で不可分なシンボルであり、また内容面でも言語は概念的意味を表現するが、芸術作品は言語によっては定義できない人間感情や生命の本質の型をとらえたうえで、それを感覚に対して直接訴えかけるのが特色である。この芸術論はまず音楽をモデルとして形成され、ついでほかの芸術にも敷衍(ふえん)された。
パースを継承したモリスは、記号を行動の道具とみなし、その使用目的により情報的、価値的、誘発的、体系的の4形式に分類した。芸術記号は価値的形式に属し、指示対象の価値特性を直接的に呈示する記号である。モリスの特色は、芸術記号が解釈者の価値態度を強化しあるいは修正し導くという実用論的機能を強調した点にある。
ランガーやモリスがほかの記号体系との比較によって芸術記号を位置づけたのに対し、第三の流派はもっぱら文学作品を対象とし、その素材たる言語の構造と機能に則して分析する方向をとった。ロシア・フォルマリズムは、日常言語が伝達機能を本質とするのに対し、文学言語は言語表現の形式そのものの自律化(美的機能)を目ざすものとし、「異化」の手法、すなわち統辞論や意味論のレベルでの日常言語からの逸脱、偏差こそ文学言語の本質だとみなした。この異化の原理はシクロフスキー、ヤーコブソン、ティニャーノフらにより展開された。チェコ構造主義は文学言語の美的機能と実践的機能を切り離さず両者の統合を目ざす。ムカジョフスキーによれば、文学作品のなかでは美的機能が支配的ではあるが、ほかの諸機能を排除せず、むしろその全体の作用によって、われわれの現実とのかかわりが活性化される。このようにチェコ構造主義は、文学作品の社会的機能を強調し、芸術の社会学という方向に展開していった。
文学言語の自律性と異化効果の理論はフランス構造主義にも継承された。詩的言語の研究では、ヤーコブソンの隠喩(いんゆ)と換喩の詩学に影響を受け、文彩の言語学的分析が精緻(せいち)化された。また散文では、プロープによるロシア民話の分析を基にし、バルト、トドロフ、ブレモンらが物語の構造分析論を展開した。絵画や映画の分析にもマラン、メッツらにより構造主義の方法が採用された。以上の構造主義が、芸術記号の創造や受容の問題を無視し、芸術記号としての作品の自律性を強調するのにひきかえ、その後に続く現代記号論は、芸術記号の創造から受容に至る全過程を理論化しようとしている。モスクワ・タルトゥ学派のロートマン、ドイツのイーザーWolfgang Iser(1926―2007)やシュミット、イタリアのエーコらはいずれも、記号体系から記号過程へと分析の焦点を移しつつある現代記号論の動向を、芸術研究の領域において推し進めている。
[村山康男]
『ランガー著、平野萬里他訳『シンボルの哲学』(1960・岩波書店)』▽『モリス著、寮金吉訳『記号と言語と行動』(1960・三省堂)』▽『ヤーコブソン著、川本茂雄監訳『一般言語学』(1973・みすず書房)』▽『ロートマン著、磯谷孝訳『文学理論と構造主義』(1978・勁草書房)』▽『バルト著、花輪光訳『物語の構造分析』(1979・みすず書房)』▽『川本茂雄他編『記号としての芸術』(『講座・記号論3』1982・勁草書房)』