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若松若太夫 わかまつわかたゆう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

若松若太夫
わかまつわかたゆう

[生]1874. 熊谷
[没]1948
説経節の太夫。本名は松崎大助。薩摩 (若松) 辰太夫の門弟。芳太夫,崎太夫を経て,1902年若松若太夫と名のった。 08年美音会に出演し,『小敦盛一代記』捨て子の段を語り,説経節の芸術的地位を高めた。美声家として有名で,埼玉,多摩,八王子などに細々と残っていた説経節を,近代的で上品なものに改訂し芸能界に進出させた功績は大きい。 46年武蔵大掾と名のり,実子寛に若太夫の名を譲った。代表曲は『苅萱』『熊谷蓮生坊』『勧進帳』。

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世界大百科事典 第2版の解説

わかまつわかだゆう【若松若太夫】

説経節の太夫。初世と2世がある。(1)初世(1874‐1948∥明治7‐昭和23) 本名松崎大助。埼玉県熊谷市出身。家は農商兼業であったが,祖父が観世流能の師匠,父は祭文の名人という環境から11歳で説経節を志して上京,〈説経祭文〉の薩摩辰太夫に入門した。天性と修業が相まって習熟し,16世家元を称したが,1902年義太夫節,新内節,講釈などの詞章曲節を加味して〈改良説経節〉を称して若松派を創立,名も若松若太夫と改めて初世家元となった。

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