特定の神社に世襲的に奉仕する神職家。古代では,氏上(うじのかみ)が氏族をひきいて氏神につかえ,あるいは一定の地域の長(おさ)がその地縁の人々をひきいて土地の神の祭祀を行ったが,神仕えには厳重な潔斎を必要とするため,いつしか専従の神職が生まれ職業的に世襲されるようになった。また,神をまつるに最もふさわしい資格は,祭神の子孫であることが第一とされ,その家筋が社家となったものもある。神社のなかには伊勢神宮の祭主の藤波家,宮司の河辺家と内宮禰宜7氏およそ30家,外宮禰宜6氏およそ30家や賀茂別雷神社のおよそ150家,賀茂御祖神社のおよそ50家のように多数の社家をもつにいたったものもあった。また,一般の諸社にあっても社家のあることが多かった。
明治維新後,1871年(明治4)5月14日に太政官布告が出され,神社は国家の宗祀であり一人一家の私有にすべきではないとの理由で,神職の世襲制度が廃され,人材本位で登用されることとなった。維新後,社家の中で華族に列せられたものは14家ある。すなわち伊勢神宮の祭主家である藤波家は子爵に,同大宮司の河辺家,同禰宜家の沢田家・松木家,出雲国造家の千家・北島の両家,紀伊国造家の紀家,物部神社神主家の金子家,熱田神宮大宮司家の千秋(せんしゆう)家,宇佐神宮大宮司家の到津(いとうづ)家・宮成家,阿蘇神社大宮司家の阿蘇家,住吉神社の津守家,日御碕(ひのみさき)神社の小野家の諸家はいずれも男爵をさずけられた。第2次世界大戦後は,神社に関する法律等のすべてが廃されたが,神社本庁の包括下に旧官国幣社等にあっては,原則として明治以来の伝統が守られている。
執筆者:茂木 貞純
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神社を奉祀(ほうし)する世襲の神職の家柄。神社の祭祀(さいし)・社務には、古代では氏長者(うじのちょうじゃ)や政治の長(おさ)が、その氏・地域を代表して、また地方の多くの神社では、氏子・村人ら地域の構成員が当番制でこれに奉仕してきた。しかし、神仕えに際し、祭りをより厳粛に行うために長期の潔斎が必要となり、また日常の社務を恒常的に取り仕切るため、さらに奉祀の資格として祭神の裔孫(えいそん)たることがふさわしいとして、しだいに専従の神職家が発生し、世襲された。大社の例では、伊勢(いせ)神宮に祭主家・宮司家・禰宜(ねぎ)以下の各職掌ごとに数十家の、賀茂上下(かもかみしも)社では百五十数家、吉備津(きびつ)宮では六十数家の社家があり、その他の古社・名社にもそれぞれの社家が存した。名家として、伊勢神宮の藤波・河辺氏、出雲(いずも)大社の千家(せんけ)・北島氏、熱田(あつた)大宮司千秋(せんしゅう)家、住吉(すみよし)神社津守(つもり)氏など14家が、明治になり華族に列せられた。各地の一般の神社でも中世・近世には累代の社家が多く存した。1871年(明治4)には、国家により、神社は一人一家の私にすべきものではないとの精神によって神官世襲の制が廃止されたが、実際はこれは官国幣社にとどまり、地方では事実上、旧社家が存続した。
[牟禮 仁]
社家衆・社司家とも。特定の神社に世襲的に奉仕する神職の家筋。はじめは神社の祭祀に奉仕する専門職はなく,氏族の氏上(うじのかみ)が氏神の祭祀に奉仕した。その後,祭祀や社務に専従する者が生じ,職業化し,世襲されるようになって社家が発生した。著名な社家として,伊勢神宮の祭主藤波家・大宮司河辺家,出雲大社の千家・北島の両家,上賀茂社の岡本・松下氏,下鴨社の泉亭・梨木氏などがある。名社・古社以外の一般の神社にも社家があった。神職の世襲制は1871年(明治4)太政官布告により廃止されたが,実際は旧社家で存続するものも多かった。社家のうち名家14家が84年の華族令公布の際,華族に列した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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