日本大百科全書(ニッポニカ) 「荷沢神会」の意味・わかりやすい解説
荷沢神会
かたくじんね
(670―762)
中国、唐代の禅僧。中国禅宗第六祖慧能(えのう)の法嗣(ほうし)で、荷沢宗の派祖。洛陽(らくよう)の荷沢寺に住したのでこのようによぶ。俗姓は高氏。襄陽(じょうよう)(湖北省)の人。10歳で五経や老荘(ろうそう)を学んでこれに通じ、『後漢書(ごかんじょ)』を読んで仏教を知り、仕官の志を捨てて出家した。その後、荊州(けいしゅう)(湖北省)玉泉寺において、北宗(漸次に悟る漸悟(ぜんご)の禅)の祖神秀(じんしゅう)に3年間師事した。701年(大足1)神秀の勧めで、南宗(直ちに悟る頓悟(とんご)の禅)の祖である曹渓(そうけい)(広東省)の慧能のもとでおよそ4年間学び、のち北遊し、受戒後ふたたび曹渓に帰り、慧能の寂年(713)までおよそ5年間師事した。『南宗定是非論(なんしゅうじょうぜひろん)』によると、734年(開元22)正月、滑台(かつだい)(河南省)大雲寺の無遮大会(むしゃだいえ)において、北宗系の崇遠(すうおん)法師と法論し、長安や洛陽で盛行していた神秀系の北宗禅を「師承(ししょう)これ傍(ぼう)、法門これ漸(ぜん)」と非難して北宗を排撃した。745年(天宝4)ごろ荷沢寺に入り、古今東西の列祖を定めて、南宗の慧能が達磨(だるま)の正系であると主張した。安禄山(あんろくざん)の乱(755)では、国家財政の窮乏を救うために、度牒(どちょう)を売り香水銭を集めて、軍費を補充する大功をたてた。宝応元年93歳で示寂。諡号(しごう)は真宗(しんそう)大師。
[佐藤達玄 2017年1月19日]
『宇井伯寿著『禅宗史研究』全3冊(1939~1942・岩波書店)』