旧暦1月15日をいい,日本では小正月の行事が祝われる。また,この日と中元,下元をあわせて三元と総称する。
道教では,三元大帝の一人天官(人に福を賜う神)の誕生日とみなし,北魏以来,祭日となる。この夜(元宵)に灯籠を飾る(張灯)ようになったのは,ほぼ隋代以後と考えられ,灯節,元宵節とも呼ばれる。張灯の期間は,唐代では前後3日間,宋以後は一般に5日間となり,清末・民国以後,急速に衰えた。唐・宋時代,意匠を凝らした飾り灯籠のほかに,無数の絵灯籠をぶらさげた樹形,山形の大きな屋台も作られ,灯樹(火樹),山棚(さんぽう)(灯山)などと呼ばれた。一年中でこの期間のみ夜行の禁が解かれるため,通りは一晩中,灯籠見物の男女で埋まり,恋が芽生えるときもあった。上元節が小説に多く見えるのは,このためである。明・清時代,花火が盛んにあげられ,小説に題材を取った絵灯籠(故事画灯)が有名。人々は灯籠に書かれたクイズ(灯謎)をあてたり,元宵(一種の団子)を食べて楽しんだ。
執筆者:植木 久行
朝鮮では上元は,秋夕(陰暦8月15日)に対して大望日ともいわれ,最も重要な祭日である。この日迎月(タルマジ)という満月祭が行われ,人々はこの日の月で1年の吉凶を占い,種々な願いごとを祈る。また農耕予祝儀礼としての炬火戦,石合戦,綱引等の模擬戦や五穀の穂をかたどった禾積・耕作過程を模倣的に演じる田植遊び,木の影や鶏の鳴声,大豆等による豊凶占い,福盗み,踏橋,凧あげ,売暑,巫覡(ふげき)の行う安宅祭や横数防ぎなど各種の個人的な辟邪・迎福の行事および亀戯,牛戯,獅子戯,地神踏などとよばれる青年たちによる仮装訪問者慣行が行われる。上元の夜は夜なべしての夜歩きが許され女子の解放の機会でもある。一方この日には清浄な男子を祭主として部落祭が村人の慎しみのうちに行われ,一年中の平安と豊穣を祈る。元旦や立春の行事の大部分が明らかに中国からの受容であると考えられるのに対して,上元の諸行事は朝鮮古来の固有の満月祭を中心とした新年の祭りであるということができる。
→小正月 →正月
執筆者:依田 千百子
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…中国,三元は本来,歳・日・時の始め(元は始の意)である正月1日を指したが,六朝末期には道教の祭日である上元・中元・下元を意味し,それぞれ正月・7月・10月の15日を指すようになった。天官・地官・水官のいわゆる三官(本来,天曹(てんそう)すなわち天上の役所を意味したが,しだいにいっさいの衆生とすべての諸神を支配する天上最高の神となる)がそれぞれの日,すべての人間の善悪・功過を調査し,それに基づいて応報したという。…
…正月7日(人日(じんじつ))には,日本の七草粥(ななくさがゆ)の源流になった,7種の野草のスープを作る風習があったが(《荆楚歳時記》),今日ではほとんどみられない。正月15日を元宵節(げんしようせつ)といい,この夜を中心に前後数日間,家々の軒先や街角に色とりどりのちょうちんがともされ,人々は新年最初の満月の夜を楽しむ(上元)。このいわゆる元宵観灯はすでに唐代からあるが,この日をもって正月は終わる。…
…また南朝鮮の海岸地方ではカンガンスオレーという女性の円舞が月光のもとで行われるし,済州島でも照里戯という舞踊兼綱引きが挙行される。また正月上元に行われた〈迎月〉もこの日に再びとり行われる。 秋夕の行事には上元の行事と共通するものが多く認められ,朝鮮では上元と秋夕の祭儀が明らかに対偶関係にあることを示している。…
…1月7日は〈人の日〉と名づけられた人日節であり,〈人勝〉を屛風などに貼り,その日の天候のよしあしによって1年の禍福を占った。1月15日は上元節で,その夜を元宵(げんしよう)と呼ぶ。この日を中心に前後3日間,もしくは5日間,華やかな灯籠祭がくり広げられ,一晩中,見物の人で雑踏する。…
※「上元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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