出家得度の証として政府が交付する証明書。度縁ともいう。中国では北魏(386-550)の時代に類似のものが発給され,唐では747年(天宝6)から行われ,清に及んだ。日本でも仏教の隆盛とともに度牒を出家者の公験(くげん)として発給し,私度僧の濫出を防止した。度牒発給の年紀は明らかではないが,僧尼令では度牒に当たるものを告牒と称している点から,少なくとも8世紀の初頭にさかのぼるといえる。天平勝宝(749-757)以降,受戒の日に度牒を破毀して戒師の戒牒を授けたため,以後疑惑などが生じた。また度牒にはもと治部省の印を捺印したが,765年(天平神護1)に道鏡の私印を用いた。しかし771年(宝亀2)旧に復した。813年(弘仁4)2月に度牒の破毀をやめ,僧の度牒には太政官,尼のそれには所司の印,受戒のときにはその年月日を度牒の末に注記することと,死亡,還俗(げんぞく)の場合には政府に返却することとした。《延喜式》(玄蕃寮)には度牒の書式を範として掲げているが,律令制の衰退と戒律の衰微と並行して有名無実となり,江戸時代に至っては各宗本山で発給することになり,明治以降は各宗に一任,得度のあと宗の本山が授与することになった。
→得度
執筆者:堀池 春峰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「得度(とくど)の牒(ふだ)」の意。度縁(どえん)ともいう。中国仏教圏において国家が僧尼となることを認可し証明するものとして発行した公文書。北魏(ほくぎ)代に起源するが、明確な形では唐の玄宗の747年(天宝6)に始まる。またその販売、すなわち売牒は、粛宗代の756年(至徳1)、宰相の裴冕(はいべん)の上奏をいれ、軍費をまかなうために行われたのが最初と思われる。度牒の地の素材はもともと絹であったが、宋(そう)の真宗代以後、紙にかわった。しかし、神宗(在位1067~85)のころから売牒が一般化し、氏名欄の空白のものや偽造品が現れたため、南宋の1133年(紹興3)には絹の度牒が復活した。なお、元代の『勅修百丈清規(ちょくしゅうひゃくじょうしんぎ)』によれば、僧尼が各地を修行して回る際には、つねに一種の身分証明書としてこれを携行したという。
度牒の制度は、日本でも早くから採用されたらしく、『僧尼令』(701)には「告牒」という名で出てくる。以来、さまざまの形式上の変化を重ねながらも、平安時代までは国家による教団の統制に大きな役割を担ったが、鎌倉時代以後、私度僧(しどそう)の一般化と外国僧の相次ぐ来日をきっかけとして緩み始め、廃止の方向に向かった。近・現代の度牒は各宗派が発行するもので、意味が異なる。
[木村清孝]
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