菊陽(読み)きくよう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊陽」の意味・わかりやすい解説

菊陽(町)
きくよう

熊本県中部、菊池郡(きくちぐん)にある町。1969年(昭和44)町制施行。町央をほぼ東西に流れる白川沿いの沖積低地を除けば、全域、段丘礫(れき)層からなる台地近世初期に士族の次・三男屯田兵(とんでんへい)として入植させて立村。昭和30年代には、屋敷森に囲まれた宅地を中心に短冊型の耕地が整然と並び、ゴボウタバコブドウなどの商品作物の導入もみられる雑穀中心の畑作農業地帯であった。しかし、新産業都市区域の指定(1964)、熊本空港の移転建設(1971)、大規模な住宅団地の建設(1970~1978)などを契機に都市化の様相を帯びている。都市化は西隣の熊本市からJR豊肥(ほうひ)本線の併走する国道57号沿いに展開しているが、空港を中心に周縁へと伸びる主要地方道沿いにも、工場や住宅が広がっている。さらに、1984年に指定をみた熊本テクノポリスは、熊本市を中心にこの町を含めた1市6町を母都市としており、なかでも空港に隣接した40ヘクタールの敷地にはテクノポリスの中核的研究開発拠点であるテクノ・リサーチパークが立地している。また、この町と隣の合志(こうし)市にまたがって第二テクノパーク(現在のセミコンテクノパーク)も建設された。国道57号沿いには旧大津街道おもかげをしのばせる加藤清正(きよまさ)の植栽による杉並木が残っている。面積37.46平方キロメートル、人口4万3337(2020)。

[山口守人]


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改訂新版 世界大百科事典 「菊陽」の意味・わかりやすい解説

菊陽[町] (きくよう)

熊本県中部,菊池郡の町。1969年町制。人口3万7734(2010)。中央部を西流する白川沿いに沖積地が開けるが,ほかは台地となっている。北寄りをJR豊肥本線と国道57号線が走り,南東端の益城町との境界付近に熊本空港(1971開港)がある。県道337号線沿いには,往時の豊後(大津)街道をしのばせる杉並木が残る。農業が主産業で,米作,タバコ,野菜の栽培が行われるが,近年施設園芸が導入され,スイカプリンスメロンの栽培が盛ん。台地上ではかつて馬産が行われたが,近年は酪農に代わった。熊本市に隣接する西部では住宅団地の開発や大規模ショッピングセンターの進出,熊本テクノポリスの進捗による先端技術産業の立地がみられる。とりわけ近年は,同市のベッドタウンとしての人口が急増している。
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百科事典マイペディア 「菊陽」の意味・わかりやすい解説

菊陽[町]【きくよう】

熊本県北部,菊池郡の町。米作を行うほか,野菜栽培,畜産も営み,特にニンジンの産地として有名。紡績,食品などの企業も立地している。豊肥本線が通じる。37.46km2。3万7734人(2010)。

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