中国の政治家。日本留学中,中国同盟会に入り,1911年,武昌で辛亥革命に参加。21年中国共産党創立大会に参加,国共合作で国民党中央委員候補にもなったが,国共分裂でソ連に亡命した。32年帰国してソビエト区に入り,中央党学校長,長征にも参加した。林伯渠,徐特立らとともに党の元老として董老と呼ばれた。国共再合作後は重慶辦事処に駐在して,国民参政会議員にもなり,周恩来を助けて国民政府との交渉にあたった。49年中華人民共和国成立とともに副首相,54年最高人民法院長,59年国家副主席。文化大革命でも批判の外におかれ,劉少奇失脚後は国家主席代理をつとめた。73年10全大会では党政治局常務委員,75年国家主席制の廃止で人民代表大会常務副委員長となった。
執筆者:宍戸 寛
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中国の政治家。湖北省の生まれ。日本の法政専門学校留学中に中国同盟会に加盟、辛亥(しんがい)革命では武昌蜂起(ぶしょうほうき)に参加、1921年の共産党の創立に湖北省代表として参加した。国共分裂後の1928年からソ連に留学、1932年帰国後は江西ソビエトで教育工作に従事。長征に参加して、第二次国共合作期には中国共産党代表として周恩来らと武漢・重慶(じゅうけい)に駐在した。1945年4月のサンフランシスコ講和会議には中共を代表して参加。戦後の内戦期の1948年華北人民政府主席。新中国成立とともに国家副主席、共産党中央委員、全国人民代表大会代表など要職を歴任、1972年国家主席代理、1975年中国共産党政治局常務委員に再選された。
[加藤祐三]
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