デジタル大辞泉
「薪水給与令」の意味・読み・例文・類語
しんすいきゅうよ‐れい〔シンスイキフヨ‐〕【薪水給与令】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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薪水給与令
しんすいきゅうよれい
幕末,外国船処遇に関する江戸幕府の命令。文化文政期 (1804~30) 以降,ヨーロッパ諸国の商船や捕鯨船が頻繁に日本近海に出没するようになり,日本各地に寄港して薪や食料の補給を求めた。鎖国体制下の幕府は寛政3 (1791) 年漂着船が臨検を拒んだ場合有無に及ばず船を打払い,人を切捨てよと命じたが,文化3 (1806) 年にはロシア船取扱いを契機に漂着異国船には薪水を供給して帰帆をさとすべきことを命じた。さらにフェートン号事件が起ると,文政8 (25) 年異国船打払令を出すにいたった。しかし阿部正弘が老中になると,アヘン戦争で清国が敗れたという情報などをえて攘夷の不得策を知り,外国側の要求どおり,天保 13 (42) 年7月,文化3年の取扱いを復活して必需品を供給することを命じた。薪水給与令とは普通この天保 13年の命令をさし,開国政策への一段階をなした。 (→開国 )
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薪水給与令 (しんすいきゅうよれい)
江戸幕府が,1842年(天保13)7月に異国船打払令を撤廃し,来航した外国船には薪水,食料を与え,速やかに退去させることを命じた法令。モリソン号事件(1837)により打払令が国際的紛争を招きやすい危険な政策であることが露呈し,1840年開戦のアヘン戦争の情報,同戦争終結ののちイギリスが日本に艦隊を派遣するとの情報により危険性がさらに強まり,対外紛争回避のため,幕府は対外方針を変更した。
執筆者:藤田 覚
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薪水給与令
しんすいきゅうよれい
1806年(文化3)と42年(天保13)に江戸幕府が出した異国船取扱令。ロシア使節レザノフの退去後,幕府は海辺に領地をもつ大名・旗本に対し,異国船来航に際し,穏便な対処,漂着船への薪水・食料支給を命じた。1825年(文政8)異国船打払令によりいったん廃止されたが,42年沿岸接近の異国船への穏便な対応,薪水・食料の支給を再度命じた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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薪水給与令
しんすいきゅうよれい
1842(天保13)年,江戸幕府が渡来した外国船に燃料・食料を給与するように定めた法令
1825(文政8)年以来の異国船打払令を廃して新たに定めたもので,アヘン戦争で清国が敗れたことと,天保の改革の進行が幕府の外交方針変更の背景となった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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