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藤本清兵衛(初代) ふじもと せいべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤本清兵衛(初代) ふじもと-せいべえ

1841-1891 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)12年6月15日生まれ。大坂曾根崎の米穀商住吉屋清兵衛の養嗣子となり,維新後,藤本の姓を名のる。淀川の水運を利用した京都との間の米穀取引で成功した。明治24年10月31日死去。51歳。丹波出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤本清兵衛(初代)

没年:明治24.10.31(1891)
生年:天保12.6.15(1841.8.1)
明治前期の米穀仲買商。丹波国桑田郡杉村(京都府亀岡市旭町)に川勝五助の5男として出生。幼名は丑之助。10歳で大坂天満真砂町の雑穀商河内屋仁兵衛店へ丁稚奉公に入った。慶応1(1865)年大坂曾根崎緑橋の米商,住吉屋清兵衛の婿養子となり,その家を相続した。維新後,藤本を姓とし,堂島に米仲買店を開くとともに,米を京都へ運んで売りさばくことでも利益をあげ,京都にも米仲買店を設けた。堂島米商会所発足後も,その仲買人となったが,単なる米相場師ではなかった。政府が米価調節のため明治14(1881)年,備荒儲蓄法を施行し,米穀を買い上げるようになると,清兵衛は専らこの御用米の取扱方を命ぜられ,また安値の時期には内地米を輸出し,高値の時期には外米を輸入した。明治20年前後の時期,清兵衛の米取引高は全国第1位であった。腸チフスにかかり急逝。晩年は大阪商船会社,泉州紡績会社などの大株主となり,取締役に就任した。<参考文献>実業之世界社編『財界物故傑物伝』下,松井挙堂『丹波人物志』

(森泰博)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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