藤本 清兵衛(2代目)(読み)フジモト セイベエ

20世紀日本人名事典 「藤本 清兵衛(2代目)」の解説

藤本 清兵衛(2代目)
フジモト セイベエ

明治〜昭和期の実業家 紀阪銀行頭取。



生年
明治3年10月15日(1870年)

没年
昭和24(1949)年

出生地
紀伊国(和歌山県)

経歴
明治20年米穀商の藤本商店に入社。24年に同店の創業者・初代藤本清兵衛が没すると、その養女と結婚し、家督を継ぐとともに清兵衛を襲名した。同店の近代的資本への転換をはかり、福島紡績を興して紡績業進出。35年には藤本ビルブローカーを創業した。この間、金融方面にも業務を広げ、明治28年に藤本銀行を創立。39年には同行一旦廃業して藤本ビルブローカー銀行に改組、これがのちの大和証券基盤となった。しかし、日糖疑獄で経営から退き、以後は株式の仲買を業とし、また紀阪銀行頭取なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤本 清兵衛(2代目)」の意味・わかりやすい解説

藤本清兵衛
ふじもとせいべえ

[生]天保12(1841).6.25. 丹波
[没]1891.10.31. 大阪
明治初期,関西で名をはせた米穀仲買商。川勝五助の5男で幼名は丑之助。 11歳で大坂に出,慶応1 (1865) 年米商住吉屋清兵衛の養子となり,4世清兵衛を名のった。藤本姓になったのは明治維新後。 1881年政府は米価調節を目的として備荒儲蓄法を制定し,米の買上げを東の三井物産と西の藤本に命じた。備荒儲蓄は 90年頃廃止されたが,この期間が清兵衛の大活躍の時期で,米の取扱高は全国で第1位となった。晩年大阪商船会社,泉洲紡績会社などの大株主になり,取締役にも就任

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤本 清兵衛(2代目)」の解説

藤本清兵衛(2代) ふじもと-せいべえ

1870-1949 明治-昭和時代前期の実業家。
明治3年10月15日生まれ。初代の死後,その養女と結婚し家をつぐ。米穀商から紡績業へ進出。明治35年藤本ビルブローカーを開業する。のち同社は藤本ビルブローカー銀行などをへて,大和(だいわ)証券へと発展した。昭和24年死去。80歳。紀伊(きい)出身。

藤本清兵衛(初代) ふじもと-せいべえ

1841-1891 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)12年6月15日生まれ。大坂曾根崎の米穀商住吉屋清兵衛の養嗣子となり,維新後,藤本の姓を名のる。淀川の水運を利用した京都との間の米穀取引で成功した。明治24年10月31日死去。51歳。丹波出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤本 清兵衛(2代目)」の解説

藤本 清兵衛(初代) (ふじもと せいべえ)

生年月日:1841年6月15日
江戸時代;明治時代の実業家。大阪商船取締役
1891年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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